=目 次= 「生活保護−3−」
7 役所の不当なやり方を許さないための豆知識
7 役所の不当なやり万を許さないための豆知識
*<生活保護法>
<基本通知>
生活保護法の施行に関する件
昭和二十五年五月二十日
厚生省発社策四十六号
各都道府県知事宛 厚生省事務次官依命通知
(抜すい)
『 生活保護法を施行するときに出した「基本通知」といわれるもので、国の基本的な考え方をあらわしています。
現実はこの通知からも外れたことがやられていますので、これを守らせることが大事です。』
第一 法律改正の趣旨
旧法は、救護法における所謂慈恵的な救貧思想を一応脱却していたのであるが、未だ完全に救貧法的色彩を払拭し得るに至らず、殊に憲法第二十五条に規定されている生存権保障の精神が未だ法文上明確となっていなかったので新法においては国が国民の最低生活を保障する建前を明確にするため、保護をうける者の法的地位を確立し、保護機関等の職責権限と要保護者の権利との法的関係を明瞭化するとともに、保護に関する不服申立制度によって、要保護者が正当なる保護の実施を主張し得る法的根拠を規定したこと。
第二 一般事項
1 この法律による最低生活の保障は、憲法に宣言されている所謂生存権、基本的人権の保障を実定法上に実現したものであり、この法律による保護は要保護者の困窮の程度に応じて必要の最少限度において行なわなければならないものであるから、この保護を漫然と機械的に行うことによって、国民の勤労意欲を減退させたり、あるいはこの法律により当然与えられるべき保護を理由なく抑制することによって、要保護者の更生の力を枯渇させるようなことがあっては、この法律の目的に背反するものであって、この法律の目的は、法第一条に明文化されているように要保護者の最低限度の生活を保障するとともにその自立を助長することにあるのであるから、この旨を関係機関に十分に認識させ、この目的達成のために法の最も効果的な運用を期する必要があること。
2 この法律による保護は、この法律を定める要件をみたす限り、要保護状態にたちいった原因の如何や、又人種、信条、性別、社会的身分、門地等のいかんによって優先的に取扱いをすることは、厳に戒めるべきであると同時に新法において国民に対し、積極的に保護請求権を認めた趣旨にかんがみ、この取扱いにあたっては、あらゆる方面において名実共に慈恵的観念を一解して臨むよう充分に指導されたいこと。
第三 保護の原則に関する事項
1 新法においては、生活に困窮する国民に対して保護の請求権を認めたことに対応して、保護は申請に基いて開始することの建前を明らかにしたのであるが、これは決して保護の実施機関を受動的、消極的な立場に置くものではないから、保護の実施に関与する者は、常にその区域内に居住する者の生活状態に細心の注意を払い、急迫の事情のあると否とにかかわらず、保護の漏れることのないよう、これが取扱いについては特に遺憾のないよう配慮すること。
3 法第九条に洩定する必要即応の原則は、要保護者の生活の実情に最も適応した保護を実施すべきことを要請するものであって、これは厚生大臣が保護の基準を決定するに当り従わなければならない原則であることは勿論、市町村長が保護を実施する上においても従わなければならない原則であること。
従って、例えば、稼働能力のある要保護者に対して、その者の通性に応じ生業扶助を通用しその就労の促進を図ることはもとより必要と認められるが、乳幼児をかかえた母親に対して同一の方針をもってのぞむことはむしろ避けるべきであって、これに対してはその母親がその乳幼児の養育に専念し得るように保護を決定すべきものであること。
或いはその世帯において看護を 不可欠とする病人がある場合においては、ある程度稼働能力のある者であってもその病人の看護に専念することができるよう、又人工栄養を必要とする乳児がある場合には、人工栄養によってその乳児の必要とする栄養が十分に補給し得るようにする等その世帯の必要なる事情を十分に考慮し、保護の種類及び方法を決定することが必要即応の原則にかなう所以であること。
第六 保護の方法に関する事項
2 生活保護のための保護金品は、必ず一ヶ月以内を限度としてこれを前渡しなげればならないにもかかわらず、従来とかくこれが厳格に実行されず、ために被保護者の生活に支障の生ずるような事例が相当みられたのであるがこのようなことは絶対に許されないことであるから今後は保護の実施機関を指導督励してかかる事例の絶無を期すること。
第十 不服の申立に関する事項
1 昨年四月旧法施行規則の一部改正によって道を開かれた不服申立の制度は、単に行政事務処理上の手続として実施されたものに過ぎなかったが、新法による不服申立は、国民の保護請求権の上に築かれた法律上の制度であって、被保護者の権利がこれによって具体的に保護されるという重大な意義を有するものであるから、その取扱については慎重を期し、国民の権利救済に遺憾なきを期すること。
国民の申請権と申請がなくても必要な場合は福祉事務所などに適用義務が
「生活保建法の解釈と運用」より
九六年の五月、東京都豊島区で「明日から食べるものがない」と七十七歳の母親と寝たきりの息子が餓死、さらに各地で餓死・孤独死事件が相次いでいることを新たな契機に生活保護や役所、福祉事務所のあり方が問われています。
区役所や福祉事務所は、ずっと以前から親子の生活状況をつかんでいながら放置していた結果の餓死です。こうしたことは、本来の生活保護制度ではあってはならないことです。
これ以上、こんな悲惨な事態を起こさないためにも国民の申請権を保障し、かりに申請がなくても、必要な場合は役所が職権で生活保護を通用するという生活保護の原則をつらぬかせるべきです。
生活保護法第七条は申請保護の原則と職権保護を決め、この条文をうけ同法第二十四条、第二十五条は内容細かく定めています。
現在の生活保護法づくりに参加した当時の厚生省社会局保護課長の小山進次郎氏著の『生活保護法の解釈と運用』(中央社会福祉協議会刊)は第七条について、そのことを次のように述べていますので、運動のなかで積極的に活用しましょう。
なお、同著は生活保護法の制定過程から法律全文の解釈をしたもので、初版が昭和二十五年十一月に発刊され、その後改定増補されています。
発刊の目的は「保護行政のマニュアル」であり、「単に法文の読解を行うに止めず、広くその立法の理由、規定の内容、その具体的運用等制度の基基礎事項のすべてに亘って解説」(まえがきより)した厚生省側のマニュアルともいえるものです。
第一節 申請保護の原則
第七条 保護は、要保護者、その扶養義務者又はその他の同居の親族の申請に基いて開始するものとする。
但し、要保護者が急迫した状況にあるときは、保護の申請かなくても、必要な保護を行うことができる。
【趣旨】
一 要旨
この条文は、申請保護の原則について、規定したものであって、その要旨とするところは、次の三点である。
第一 保護は、職権によらず申請に基いて開始することを原則とすること。
第二 申請権者の範囲は、要保護者、その扶養義務者、その他の同居の親族とすること。
第三 要保護者が急迫した状況にあるにもかかわらず申請しないときは、職権による保護が行われること。
二 理由
一 保護の開始について申請主義の原則を採ったのは、この法律において国民に保護請求権を認める建前をとっているので、制度の仕組としては、保護の開始をこの保護請求権の行使に基いて行われるとする方がより合目的的となるからである。
即ち、国民には保護請求権が与えられる。
その発動形式として保護の申請がある。保護の実施機関は保護の申請に対し必要な保護の決定をするか、又は申請の却下をするかしなければならない。
かかる対応措置を講ずることなく三〇日を経過したときは申請者は申請を却下したものとみなすことができる。
申請の却下に村しては勿論その他保護の決定について不服があれば不服の申立をすることができる。
これが新法における保護請求権を中心とした制度の構造の概要であるが、かかる構造の中において占める保護の申請の位置と結び付けて考えることによりはじめて申請保護の原則のもつ積極的意義を理解することができる。
二 それにもかかわらず急迫した事由がある場合に職権保護の行われる余地を残したのは、要保護者の中には保護請求権を行使することのできない者或いは困難な者が少くないこと及びこの制度に村する国民の考え方が、一に述ベた原則に徹する迄には若干の時日を要すること等から見て、一の原則だけを機械的に墨守すれば議論倒れに終り、結果においては却って国民の最低生活保障に欠くることとなるに至るおそれあることを考慮したためである。
三 申請権を要保護者以外にも与えたのは、要保護者の中には保護請求権を行使することのできない者が事実上少くないので、申請権を要保護者だけに限定すると、この法律の目的が達成されないおそれがあったからである。
申請権者を要保護者と一定の法律的関係にある者のみに限定し、例えば、縁故者等を除外したのは、もともと保護請求権は一身専属権であってその行使の一つの現れである保護の申請の如きは法律上の建前としては本人又は法律上本人の利益を守るべき立場に在る者に限定して認めることが至当であるからである。
−途中略−
【運用】
一 保護の実施に対する行政機関の責任と本条との関係について
申請保護の原則は、保護の実施機関をいささかでも受動的消極的な立場に置くものではない(新法基本通知第三の一)。
換言すれば、この原則が採られる事になったからといって要保護者の発見に対する保護の実施機関の責任がいささかでも軽減されたと考えてはならないのである。
従って、保護の実施機関としてはこの制度の趣旨を国民に周知徹底させ、この法律に定める保護の要件を満たす者が進んで保護の申請をしてくるよう配慮すべきは勿論であるが、このほか地区担当貝(家庭訪問員)が社会調査を実施して要保護者を積極的に発見するとか、民生委員の積極的協力を受け要保護者について連絡を受けるとか、或は児童相談所、公共職業安定所、警察署、保健所、学校等で発見された要保護者につき速やかに連絡を受けるとかして、要保護者と生活保護制度とを結び付けることに最善の努力を払うべきである。
時たま新聞紙上に現われる親子心中事件の中でそれらの人々と生活保護制度とが結びつけられていたならば或いは悲劇が避けられたかも知れないと推測された事件が絶無でなかっただけにこの点の注意が特に必要であると思う。
二 本条の趣旨を生かすための執務方法について
申請保護の原則を生かす為には一般の国民からみて申請がし易いように保護の実施機関側でも工夫すべきである。
一 この為に最善の方法は、福祉事務所等に練達堪能を面接月を置き、落付いて対話のできる(特に他の人から見透しのきかない)面接室を設け、福祉事務所等を訪れた要保護者から直接に詳細な事情をきく制度を採用する事であろう。
新法施行当時に大阪市、京都市、名古屋市、神戸市及び大阪府下の各市その他和歌山、奈良等の諸都市で実施されている制度がこれに当るものである。
このような制度にあつては本人に意思能力がありさえすれば(筆記能力がなくても)有効な申請ができるから、第七条の精神が最高度迄生かされることになる。
二 右の制度を採用していない福祉事務所等でも次の事項は必ず実行すべきである。
1 筆記能力のない申請者が福祉事務所等を訪れ申請の希望を表明したら係員(社会福祉主事であることが望ましい)が本人に代つて必要事項を記載し本人に読みきかせた上でその書面に記名押印させこれを受理する。
なお、申請書は予め印刷しておき必要事項の記載は最少限度に止めることが望ましい。
2 申請は要式行為ではないから、申請書の記載が整理されていなくても所要の事項が尽されて居れば、たとえそれが手紙の形を採っていても(このような場合にはその手紙に記載された事項の中から申請書の必要的記載事項を要約して作成しその旨明示しておけばよい)、申請として受理すべきである。
3 申請書中に補正すべき個所があるときは、その旨申請書に通知して補正の機会を与えなければならない。
書き替を必要とするときは、申請用紙に記載注意を添えて本人宛に送付し又は交付することが望ましい。
三 本条但書の運用方針について
保護の実施は、成るべく「申請に基いて行う」形式を採ることが望ましい。
福祉事務所等の側の努力で要保護者を発見した場合にも先ず申請することを勧むべきである。
本人に意思能力がない場合その他急迫した事由のある場合のほかは職権保護の形式を採ることは避けるべきである。
但し、一度職権によつて保護を開始した場合には、同一内容の保護が行われる限りことさら改めて保護の申請をさせる必要のないことは申す迄もない所である(法第二五条第一項)。
註 中川善之助「註釈親族法」上(昭和二五年)八八頁
生活保譲法や基本通知にも反する国・役所のやり方
厚生省は、国庫負担を削減し、生活保護受給者を減らすために、「適正化」という名のしめつけを強めています。
いずれのしめつけも次にみるように不当なものですから、生活保護を申請する権利、受ける権利を保障させ、人権侵害を許さないようにしましょう。
生活保護の原理・原則にも反する「適正化」しめつけ
生活保護の「適正化」しめつけのなかでめだっている申請拒否、保護決定の法定期限の無視(福祉事務所は申請を受け付けて十四日以内、長くても三十日以内に決定通知をすることになっています)、辞退届の強要、扶養の押し付け、不当な指導などは、生活保護の原理・原則に反し、現在の生活保護法からみても不当なものです。
生活保護法は制度の基本原則として第一条(憲法第二十五条にもとづき国民の生存権を守る制度であることと国の義務を明記)、第二条(無差別平等の原則)、第三条(健康で文化的な最低限度の生活の保障)、第四条(補足性の原則)を決め、第五条で生活保護の運営にあたっては、前四条に違反するやり方や法律の解釈は無効としています。
とりわけ、申請権・受給権については、現在の生活保護法施行時に「基本通知」を出し、各自治体、福祉事務所が国民の権利を守ることを強調しています。
各地で起きている「適正化」しめつけは、次のように現行生活保護法にも違反する不当なものですから、基本原則と現行法を守らせることが重要です。
@申請拒否
前項の「生活保護法の解釈と運用より」も参照してください。
国民に生活保護の申請権があることは「基本通知」でも強調されていますが、生活保護法(以下法という)第七条により申請にもとづいて保護をすることが規定洩定されています。
しかも、法第九条は保護を必要とする人にたいしては、すみやかに必要な保護をおこなうとする「必要即応の原則」をうたっています。
したがって、申請の意思がある人にたいしては、まず申請を受理し、その後必要ならば調査をするというようになります。
いろいろな理由をつけて申請書を捜さないということは、法第一条、七条、九条違反です。
福祉事務所では「よく話を聞かないと申請の意思があるかどうかわからない」と言って「今日は相談だけ」と追い返すケースがあります。
しかし、第九条や「要保護者が急迫した状態にあるときは、職権ですみやかに保護をしなければならない」と規定している第二十五条の規定や、生活保護法が他の福祉法と違って相談の規定を設けていないことからみても、保護を必要としている人や申請の意思を明らかにしている人を「相談だけ」といって追い返すことはできません。
申請権を保障するには申請手続きの「迅速・簡素化」が必要であり、申請書は
@申請の意思、
A家族構成、
B保護を必要とする理由が明らかにできる簡単なもので十分です。
生活保護法に義務づけ規定のない同意書や、自立計画書の提出が申請の絶対条件であるようなやり方は、手続き的権利に反するものです。
また、収入や資産の詳細な記入を要求する場合は、収入認定や資産保有のしくみや扱いがどうなっているかを申請者に十分に知らせることが前提です。
申請方法は、規則では文書によるとしていますが、法では規定しておらず、不服申し立てと同じように口頭でもできます。
A辞退届の強要
辞退届は規則にも法にもない不当なものです。
強いてあげるならば、法第六十一条の「収入、支出などの変動があったときに届出をする」という規定です。
しかし、この規定は被保護者の変化にもとづいて法第三条でいう健康で文化的な基準に変更するためのものであり、しかも変更にあたっては本人の意思を尊重すべきであって、辞退届の強要ができるというものではありません。
本来、保護の廃止や変更という被保護者の不利益にかかわる問題は、法第二十五条、二十六条で実施機関の方から処分の理由を明記した書面でおこない、これにたいし被保護者には弁明や不服申し立ての機会が保障されています。
この点からみても辞退届の強要は不当なものです。
B扶養のおしつけ
旧生活保護法では、扶養義務者に扶養能力があるときには、実際に扶養されていなくても保護は受けられませんでした。
現在の生活保護法はこの点を改めて、実際に扶養されているときは扶養されている範囲内については保護をしないというようになっています。
このことは扶養義務者の私的扶養と国の公的扶助の責任の関係を明らかにしたものです。
また、憲法第二十五条が明確にしている国民の公的扶助の権利の内容は、公的扶助に優先する私的扶養は最小限にとどめるということになります。
したがって、扶養義務者の生活実態や意思を無視して、扶養を押しつけることはできません。
民法上の扶養義務者は、一、夫婦相互(民法七百五十二条)、二、未成熟子にたいする親、三、直系血族相互および、四、兄弟姉妹相互(民法八百七十七条一項)、その他の三親等内の親族に関しては特別の事情がある場合に、家庭裁判所の審判か調停により例外的に扶養義務を負うとなっています。
一、と二、を生活保持義務関係といいますが、自分の最低生活を削ってまで扶養する義務はありません。
それ以外の人は生活扶助義務関係とされ、自分の社会的地位を維持するのにふさわしい生活をして、それでも生活の余裕があるときのみ扶養の義務を負うとされています。
以上のような民法の規定からみても生活の実態を無視した扶養の押し付けは誤りで
す。
C不当な指導・指示
被保護世帯の身体的条件や意思を無視した就労指導や調査などは憲法で保障されている基本的人権を侵害し、法第二十七条にも違反しています。
法第二十七条は、「指導・指示」にふれています。
ここでいう「指導・指示」は「生活の維持、向上その他保獲の目的達成」を目的とし、被保護者の「自由を尊重し、必要最小限度にとどめ」「被保護者の意に反し」てはならないとしています。
加藤人権裁判(あとでふれます)の秋田地裁判決では 一、加藤さんの預貯金を収入認定して、保護費を減額した福祉事務所のやり方をとり消し、二、預貯金の一部を死後の葬式や墓石購入以外に使用してはならないという生活保護法二十七条にもとづくとして福祉事務所がおこなった「指導・指示」を「重大かつ明白な違法」として無効を確認しました。
つまり、秋田地裁判決は、法第二十七条の指導・指示の法律的な性格について「行政処分」であるとし、また、被保護者の自由や人権を侵害する指導・指示は違法になるとしました。
「指導・指示」が、「行政処分」にあたるならば、被保護者は、不法不当な指導・指示について不服申し立て(審査請求や異議申し立て)や行政訴訟で争うことができます。
争いにならなくても、その可能性があるだけでも福祉事務所はケースワークを慎重にすすめることになり、保護行政上、きわめて重大なことです。
秋田地裁の判決は厚生省や行政当局が、国民の自由や人権を無視して、全国的に指導・指示を生活保護の打ち切りや過酷な就労、資産の売却の強制手段としていることに歯どめをかける力となります。
また、立入調査については「立入調査は人権のからむ問題であるから、その必要性の判断については慎重にすべきであり、調査方法にも十分な配慮がなされなければならない」という判決(一九七二年の鳥取地裁米子支部判決)もあります。
現在、おこなわれている不当な指導や調査がこうした判決に違反していることは明らかです。
運動のなかで人権裁判の判決を活用して
憲法違反の人権侵害にたいして九〇年代の序盤には加藤裁判、柳園裁判、中嶋学資保険裁判など生活保護の人権裁判が次つぎにたたかわれました。
三つの裁判いずれの原告も生活と健康を守る会の会員で、それぞれの組織や全国の会員が支援をし、加藤、柳園裁判は
九三年に全面勝利をしました。
学資保険裁判は九五年の第一審で学資保険の必要性は認めましたが、福祉事務所の行政処分による損害賠償などを求めた請求は却下され、現在もたたかっています。
加藤裁判
秋田県の重度障害者で高齢の加藤鉄男さん(当時六十八歳)が、病気のときの介護費用にと、生活保護費を切りつめて、八十一万円余を貯金したことにたいし、当局がそのなかから約二十七万円を収入認定し、保護費を減額し、約四十五万円を葬式費用にと、使途を固定した(八五年二月)ことを、「違法だ」として、九〇年六月に訴訟を起こした裁判で、九三年四月二十三日、秋田地裁は加藤さんに全面勝訴を言いわたしました。
国、県が控訴せず判決は五月七日に確定しました。
地裁判決は、生活保護費等の「預貯金は、収入認定することには、本来的になじまない性質のもの」であり、「預貯金の目的が、健康で文化的な最低限度の生活の保障、自立更生という生活保護費の支給の目的ないし趣旨に反せず、かつ一般国民の感情からして違和感を覚える程度の高額でない限りは、これを収入認定せず、保有させることが相当」と判示しました。
この判決は保護費の使い道は自由であり、預貯金の保有は社会的常識や通念にそって認めるといった判断基準を示したものです。
さらに判決は、収入認定した残りの金額を加藤さんにとって必要ない葬式費用にあてるように強要するなど、「本人の意思に反する福祉事務所の指導指示は違法であり、無効」と断じています。
柳園裁判
いくつもの病気をもっていた京都府の柳園義彦さん(当時五十九歳・故人)は一時退院をしたときに「病気はなおったから」と生活保護を打ち切られたことにたいして、「福祉事務所のやり方(行政処分)で生命がおびやかされた」と国と宇治市を相手に九〇年四月に訴訟を起こしました。
柳園さんは病院から病院に転院する間、一時的に友人宅に身を寄せていましたが、福祉事務所側はあとから、「居所がわからなかった」「住所が間違っていたから」廃止したとの主張もしています。
京都地裁は九三年十月二十五日、全面勝訴を言いわたし、判決は確定しました。
判決は、柳園さんの病気が保護開始時より悪化している事実を知りながら「病気は治った」と保護廃止をしたのは違法である、福祉事務所は「居所がわからなかった」としているが担当者が調べることができたはずで、調査の努力もせずに「居所がわからなかった」とした点でも保護廃止は違法である、としています。
さらに、本来、法は居所がわからないことを理由とした廃止は許していないのに、「居所を教えなかった」といって保護を打ち切ったことは制裁的な処分であると人権侵害行政を断じています。
この裁判での大きな争点は保護廃止決定をめぐってです。
宇治市は「現地保護の場合は退院したら保護廃止」という生活保護法にもとづかない行政内部での慣行である「行政慣行」によって廃止処分をしました。
こうしたやり方は、八〇年代以降の「適正化」政策のなかで全国的に生活保護法を無視したり、違反した内容でおこなわれています。
判決は「行政慣行」を認めず、生活保護法にそった保護行政を求めたものです。
中嶋学資保険裁判
福岡市の中嶋豊治さん(当時五十九歳・故人)は子どもの高校進学のために生活保護費を節約して、十四年間、学資保険を掛けてきました。
九〇年六月に福祉事務所に学資保険を解約させられ、その払戻金を収入として認定(収入認定)され、六か月間、生活保護費を減額されました。
これを不当であるとして処分の取り消しと損害賠償を求めて裁判を起こしました。
裁判の途中で豊治さんは死亡し、娘の明子さんが引き続きたたかってきました。
裁判は子どもの教育権や学資保険の保有などを争点として争われ、九五年三月十四日に福岡地裁が第一審判決を下しました。
判決内容は大きく二つに整理できます。
ひとつは進学目的の学資保険の必要性を認めたことです。
判決は憲法二十六条にいう「等しく教育を受ける権利」は生活保護世帯であるか否かで左右されるべきでない。
現実には生活保護では修学は費用的にきわめて困難な状況にあり、修学の準備等のための蓄えを認めなければ、事実上、生活保護世帯の子女の高校進学を断念させることになり、生活保護法のいう自立助長の目的に反する。
高校進学は、生活保護世帯を保護から脱却させるための一手段とも評価できる。
学資保険が、高校進学の目的どおりに使用、あるいは予定されているとき、払戻金をただちに「収入認定」し保護費を減額することは、福祉事務所の裁量権を濫用したものというべきであるとしています。
もうひとつは原告が請求していた福祉事務所による保護費減額の「保護変更処分」の取り消しと損害賠償を退けたことです。
判決はその理由を次のようにいっています。
処分の取り消しについては、請求を求めた父親本人の死亡によって争いが消滅した。
生活保護の受給権は父親の一身専属であり、子どもたちには譲渡することはできないので、子どもたちには争う権利はない。
したがって、原告(父親)の死亡で訴えは終了したので訴えを却下する。
損害賠償請求については、原告の実態でなくケースワーカーなどの陳述を中心に事実関係を認定し、福岡市の行った行政処分は中嶋さんに不利益を与えるものでなく、違法・不当といえない、したがって、損害賠償請求を棄却する、としています。
このように判決は世論や社会的通念にそって憲法二十六条の教育権にもとづいて学資保険の必要性を認める一方で、家族の裁判権を否定し、事実認定で一方的に行政側の証言を採用する不当なものです。
この点から控訴をし、引き続きたたかっています。