存如上人



 存如上人は、応永3年(1396)、巧如上人(本願寺第6代)の長男として誕生。応永22年(1415)、上人20歳の時、のちに本願寺第8代となる蓮如上人が誕生。永享8年(1436)、巧如上人は譲状を作成、存如上人は本願寺7代目を継職。以後21年間在職、康正3年(1457)62歳で示寂された。

 存如上人が在世の時の本願寺は「さびさびとしておわします」と言われるように最も衰亡していた時期であった。そのような情況下、上人の事績は、まず1つ目に『教行信証』から『正信偈・和讃』を抜き出し、聖教の1冊として別帖化した事や『安心決定鈔』等の和語聖教類授与の再開である。これは、覚如上人(本願寺第3代)・存覚上人(錦織寺第4代)以来の事である。

 2つ目に、阿弥陀如来絵像、自身の寿像、親鸞聖人・存如上人連座像などの法物類を新たに作成し、授与した事である。

 聖教類と法物類の授与はのちの蓮如上人に多大な影響を与えることとなる。

 3つ目に、阿弥陀堂の建立である。現在の本願寺は、御影堂と阿弥陀堂の両堂形式であるが、覚如上人による本願寺建立当時は、御影堂のみであった。以来、阿弥陀堂の建立は悲願となっていたが、阿弥陀堂を建立し、その夢を実現されたのが存如上人であったと、伝えられている。

 これらのご事績は、蓮如上人の活躍のもととなり、今日の宗門の興隆の基礎を形成され、お念仏のみ教えが今の私達にまで受け継がれてくる為の大きなお働きであった。