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つぶやき・・・ ま、日記みたいなもんかな
「ヒロタ」のつぶやきコーナー
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21:03 03/02/05
もう少し一月は書き込みをしたい思いが残りましたが、気がつくともう二月も一週目の後半です。
「アメリカのイラク攻撃」は、その道理のなさがますます明らかになってきました。
昨日ニュースステーションで、久米さんと対談した「元国連査察官 リッターさんは」怪しいのであれば「国連の査察団がさらに調査すべきである」と、まさにわかりやすい話ではなかったかと思います。
自分が過去にイラクで行っていた査察を振り返りながらの提言は説得力があるものでした。
せっかく日本で記者会見や、TV出演しているのですから、マスコミはもっと議論の材料として紹介すべきではないかという思いを持ちました。
その前の時間では、延々と「北朝鮮によるミサイル攻撃」を推測と独断を交えて、何のための放送かと思うような番組を放送していたのですが・・・・
「金」さんが、日本にミサイルを放つ目的が何なのかをいっさい言わずに、ただただ、今の日本の軍備では、ミサイルを防ぐ方法がないと言うこと、そして、ミサイルが着弾するシュミレーションを「コンピューターグラフィック」を使ってこれでもか、これでもかと不安をあおります。
北朝鮮は、なぜ日本にミサイルを撃つのでしょうか?
日本を占領して、日本を従属国にするつもりでしょうか?
二発目を撃つぞと脅かして、日本から「援助」を受けるのでしょうか?
アメリカに対する「威嚇」でしょうか?
いずれにしても、現状では「一発でも」ミサイルを日本・韓国・米国・・・どこに向けてでも発射したとたんに、北朝鮮は「第二のアフガン」となるのは、世界中誰もが想像できることではないかと思います。
では、どうしたらよいのでしょうか?
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22:47 03/02/10
「白山」
石川県のちょっと高い山の上からは、「白山」が見えます。
先日は久しぶりに「白峰スキー場」へ行ってきました。
一番上のリフトの降り場から「白山」が見えました。
天候が良くてまさにスキー日和だったのですが、こういう日は気温もすぐ上がり雪質はすぐ悪くなります。
昼頃にはもうシャーベット状態になり、私のようにあまり技術の伴わない高齢者は「重い雪」に足を取られます。
結局昼ご飯をとらずに一時過ぎまで滑って、降りてきました。
無理は禁物、ここでもとをとろうなどと思おうものならイメージをのせた頭と、疲労こんぱいした足とのアンバランスでケガの元です。
おかげで、白峰の「総湯」は人影も少なくのんびりとお湯をいただくことができました。
一人だけいい思いをして帰るわけには行きません、総湯のすぐそばの「志んさ(しんさ)」さんで、
「とちもち」のおみやげをゲット。
いつもは、県道からスキー場へ入り際の角あたりにある「売店」で買うのですが、せっかく町中まで入ったことだし、ということで、こちらで求めました。
皮が薄くて、ちょっと大ぶり、あんこの味は甘さ控えめながら、小豆の風味はうまく生かしてなかなかの味わいです。
とちもちは、栃の実を使っているのでそう呼ばれるんでしょうね。
と、勝手に思っているのですが、五箇山に行くと買いますし、こちらも来る事に買って行きます。
一応、家では喜んでもらえるので、おみやげとしては定番となっています。
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22:23 03/02/12
そういえば、前回書いていて「これを書かなければ」と思いながら抜けてました。
スキーのあと、総湯に入って「とちもち」を買いながら白峰でそばを食べたいと相談したのです。
「志んさ」の売り子さんは、すぐ斜め前の「春風」という宿屋を紹介してくれましたのですが、どうも昼時も終わりで営業している様子がありません。
頼み込んでまで蕎麦を茹でてもらう事になるのもいやなので他に行くことにしました・・・ここは後のお楽しみです。
そこで、さっそく帰路を急ぎながら隣村でまだいっていない店を思い出したのです。
・・・・・ここから先はお店の名誉にも関わることなので「店名」は書かないでおきます。
遅い時間でもう営業時間ではないかと心配したのですが、店には先客で老夫婦が一組いました。
なにやら「でくまわし」の事で話が盛り上がっており、一安心。
おろし蕎麦があるようでそれを注文しようと思いオーダーすると、一椀では少ないので二椀で一人前にしているとのこと、で、それを注文。
運ばれた蕎麦を食べようと見ると、なんか雰囲気がおかしい。
大根おろしがつゆに浸かっているところと、そうでないところとの色の具合がなんか不自然である。
別に気にもしないで箸で蕎麦を持ち上げようとすると、つまんだ蕎麦のまわり「3CM」ぐらいが一緒に持ち上がるのである。
「乾いて・い・る・・・・・!」
ざるそばで出前を頼むと、このようなことになるのを経験したことがあるが、おろし蕎麦を食べにきてこんな事はあまり記憶にない。
思いたくはないが、
昼時間に用意したものがそのままおいてあったのだろうか?
それとも、老夫婦がキャンセルしたので、そのまま置いてあったのだろうか?
いずれにしても、ちょっと悲しい思いになった出来事であった。
白山麓「蕎麦街道」地図に名を載せているお店なのであるから、時間にずれて来店した一人客のためにお湯を沸かすのがためらわれたのかもしれないが、そういうことでは「だめだめ!」
おいしいそば屋の以前に、作り置きを食べさすそば屋では、手打ちなどの以前の問題ではないかと思う。
麺そのものはおいしそうなできばえではあるが・・・・今度は是非ゆでたてを食べたいとは思うが・・・
こんな事で、「蕎麦好き」を蹴散らして欲しくはないと思うのである、それを声を大にして言いたい!!
しかし、そう思いながらも「ごちそうさん」と言って店を後にする「気の弱い蕎麦食い人」なのであった。
いちおう、「金沢最強のクレーマー」を目指そうとしてはいるのだが・・・・
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7:39 03/02/16
昨日は晴天でした。
私の行動パターンから行くと、もちろんこれです。
そろそろ、シーズンも終わりかなと思いたっぷり滑ってきました。
何と、夕方3時半ぐらいまで滑りっぱなし。
千丈温泉のお湯の心地よかったこと・・・・・・・・
もちろん帰りは、スーパーで夕食の買いだしでした。
帰り道の「チューリップ」は冷凍食品割引セール、こういう時は思いっきり買い込んできます。
おかげで、お買い得感も「満足でした」。
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16:16 03/02/16
一日、二回更新です。これは書きたかった・・・
お昼過ぎ何げなくテレビの「チャンネルサーフ」をしていると、緒方 拳の息子、緒方 直人がなにやら人気のない外国の島のようなところでレポートしている番組にチャンネルが止まった。
アメリカが初めて占領された・・・「アッツ島」からであった。
恥ずかしながら、私はこの瞬間まで「アッツ島」というのはアメリカ領でアリューシャン列島にあるということを知らなかった。
第二次大戦で日本軍が「アッツ島」で「玉砕」というところだけは、戦争の記述の中でよく出てくるので良く聞いてはいたのだが、てっきり「南の島」だとばかり思っていた。
この番組で、日本軍がアメリカ軍の戦力を少しでも分散するために、もともと玉砕覚悟で「捨てごま」として、なんの戦略目的もなくその地方に2000名の兵隊を送り込んだものであるとのこと、その事も初めて自分の知識としてインプットされた。
戦争のことは注意していろいろ情報を見ているつもりであるが、こんな初歩的なことも知らなかった自分が恥ずかしいし、それと同時に多くの若い人たちなどにこういった戦争の残酷さ、非人間的な営みを知らせなければとあらためて思うのであった。
ここまでは書き出しで、番組の内容も機会があればまた書きたいのですが
以下「インターネット」で「霧の日記」で検索した中から少し紹介します。
霧の日記〜アリューシャンからの伝言〜
http://www.htb.co.jp/vision/kiri/story.html
「・・・・作者は若き日本軍の軍医、辰口信夫見習士官、当時33歳。日本ではほとんど知られていないこの「辰口日記」が、実はアメリカでは今も反響を呼んでいたのです。・・・・」
というようなものなのですが、私も解説の中にある、
「私を最後まで愛してくれた妻耐子よ、さようなら。どうかまた会う日まで幸福に暮らしてください・・・睦子様、あなたは今年二月に生まれ、父の顔も知らないで気の毒です・・・・・・」
このところに大きく気持を動かされたのと、今回、一日二回更新してでも書こうと思った新たな発見があったのです。
番組の中で、当時その戦争で戦った「アメリカ軍人」のインタビューを紹介した部分がありました。
その中で、
「インタビューすると彼らの多くは、あの「9/11」でテロを行った「アルカイダー」と同じような見方で、当時の日本兵を説明している」という表現のところがあったのです。
感情を持たない「殺人戦争マシーン」・・・・・・・・
これが、アメリカ人の「戦争イメージ」の一つなのだと言うことに気が付いたのです。
感情のない、ロボットの兵隊が自分たちを攻撃してくる・・・「日本兵=特攻隊」「北朝鮮国民」「イラク兵」「アルカイダー」そして、「スターウォーズに登場するロボット軍団」・・・
一部アメリカ人の「好戦的嗜好」は、ひょっとしたら日本との戦争で「特攻隊」がきっかけとなって「殺人マシーン=無条件排除」との考え方が大きな影響を与えたのかも知れないとの思いを持ったのです。
それがどうだったかは別として、もしそうであれば、日本の戦争責任が「違う形で」イラク攻撃の大きな要因となっていると思うのです。
日本人が植え付けたアメリカ人に対する「戦争イメージ」。
それが、世界の戦争に影響を与えているのであれば、日本人としても日本としても世界平和のために、特別な努力を惜しむことは無い、と思うのです。
そういう見方で番組を見ると、まさにタイムリーな番組だと共感を覚えました。
番組の中でも何度も言われていましたが、戦争では戦闘員でも、その人それぞれの人生があり、その家族があり、その生まれた故郷があり、その故郷で一緒に過ごした多くの人たちがいる。 そして、戦争は戦闘員ではない「市民」すらが、そこに戦争があるということを知らない子どもまでもが「戦争の犠牲」となっていく、そんな戦争を「アメリカ」は国連の「決定を無視してでもやるべきだ」・・・・・・・・アメリカではなく、アメリカのブッシュ一族でした・・・・・・・・と言っているのです。
「殺人マシーン」に、話し合いや平和的な調査は無用。
こんな結論がはじめからあるのでは、国の指導者としては「はじめから失格」ではないかと思います。
小泉さんは、いかが考えかと気にかかります。
「殺人マシーン」だった日本人は誰だったのか?
「殺人マシーン」の「洗脳手術」が成功したのでしょうか?
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19:53 03/02/18
「ヨーコ・オノ」さんが、「ニューヨークタイムス」の一面を使って「反戦」広告を出したというニュースを聞いた。
夫、「ジョンレノン」とともに築いた財産を使ってのことだろうと思うが、いろいろ思いがわき上がってきた。
「ビートルズ」
私にとっては、社会に他する「自分の若さ」の自己主張の砦であった。
「長髪をシンボルに」少々、不良っぽく振る舞って、たばこを手に酒場に出入りする。
深夜、「赤色灯」を意識しながら車を走らせる。
人間は、人とひととの交わりが原点、、「暴力」や「金」「権力」では人の心は動かせない。
それは、いつの時代も変わらない。
私の青春に、「音楽」は大きな影響を与えた。
それは、今の自分のなかにある、その存在の大きさに驚くほどだ。
「ビートルズ」
世界的なスターとなった彼らは、何だったのだろうか?
その時代の若者が作り出した、自分たちの象徴ではなかったのだろうか。
貧乏な生活から「レコード」を買い、彼らの歌を口ずさみ励まされ、希望を託し、自分たちの未来を夢見る。
当時「反戦」を歌ってスターになることは、そんなにめずらしいことではなかった。
日本でも、多くの若者が「若者の代表」としてその役割を果たした。
そして、今も自分の生活をその延長線上に置いている者達も見かける。
「ヨーコ・オノ」さんは、私の青春時代の熱い思いを、「ニューヨークタイムス」に載せてくれた。
私と青春をともに歌った「日本の元若者達よ」・・・・・
青春は過ぎたけれども、青年の心がうずいていないだろうか。
熱い思いは年とともに「熟」(あつ)い思いとなり、反発することから「反発される」地位と権力を「持つ」ようになっていないだろうか。
今なら、自分の思いで社会を動かせるかも知れない。
今も歌い続け、音楽とともに人生を過ごしている「日本の元若者達よ」・・・・・
「CDの不正コピー防止」の訴えも大事だとは思うが、今こそ次の世代の若者に向けて「反戦」の歌の歴史を語ろうではないか。
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8:45 03/02/23
ここ最近「高麗人参茶」一日一杯を心がけていた。
もちろん、怪しげな「某宗教団体」が売りに来たもの(大昔の話題で・・・m(_ _)m)などではありません。
一月の中頃、日本にきている韓国の留学生の方が「保育のことを調べている」と言うことで、我が家にお招きしたことがあるのです。
その時に、おみやげでいただいたのがこの「高麗人参茶」、実は娘が高校の修学旅行に韓国で買ってきて、その時の残りがあるのも発見されて、健康づくりに一日一杯と飲み始めていたのです。
それが、今朝の「韓国地下鉄火災」のニュースを聞きながら飲んでいて、ふと思い出したのです。
どうぞ、「お知り合いに禍がなかったように!」と祈るしかありません。
私はこの事件を知ったときにいろいろ興味を持ったことがありました。
安全管理のシステム構築、危機管理体制、ものづくり規格の公的規制・・・・
こういった事についての、日本と韓国、また、他の国との違いや考え方、その歴史などについてです。
私はもともと社会人としてデビューしたのが、建設現場なのでいろいろな工事や建設システムに「公的規制」が多くあるのを知っていますし、その煩わしさと必要性をそれぞれに感じながらその期間過ごしてきました。
それは、建設業界だけでなくいろいろな業界などでも形を変えてあるかと思います。
まず、車体にいとも簡単に火が回った。
建物構造として、煙が異常に充満している。
この二点に、疑問を感じました。
今日現在のニュースでは、運転手や列車指令のあり方が取り上げられています。
いろいろな角度から、今後の教訓をつくりあげていく必要があると思いますが、是非、私の疑問を解決する方向でも教訓化されることを見守りたいと思います。
人は、時として過ちを犯します。
もちろんそれが許されないこともあります。
しかし、人は歴史のなかで、それを繰り返さないことを学び、そのことを後世に伝えることを大きな社会の役割としてきました。
大きな社会システムのなかで、日本が戦争という過ちのなかで残した教訓「日本国憲法」
いつまでも大切に語り継ぎたいものです。
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