2011年8月
 


   

 
 

鈴音ちゃん成長記録(はせ日記から抜粋)

 8月29日

 午後6時過ぎ、妻とおりんさんと、新大久保へ。
 韓流の旅。
 2PMのCDとポスターを買い、韓国料理屋でチヂミと冷麺と生マッコリをいただき、帰りに韓国食材マーケットでキムチを買う。
 「あーーー楽しかった。韓国旅行に行った見たい!」
 と、妻とおりんさんは叫ぶ。
 しばらく我が家の韓流は続きそうだ。
 パパは、梨マッコリで酔っ払い・・・・

 8月28日

 午後8時、自宅到着。
 ママとおりんさんが「2PM」のライブビデオを見ながら、リビングで一緒に踊っている。
 そんなにかっこいいか? ネクタイダンス。
 「ニクタイダンス、かっこい〜〜〜〜!」
 ・・・・・・・

 8月26日

 午後8時前には自宅に戻り、おりんさんに晩御飯を作り、食べさせる。
 ママの作ったハンバーグと、パパの作ったいつもの「特製スープ」。
 そしておりんさんは、ミュージックステーションの「2PM」を見ながら叫ぶのであった。
 「ネクタイダンス、ちょ〜〜〜〜かっこいい!」
 やっぱ時代は韓流!?

 8月25日

 午後8時過ぎに自宅に帰る。
 妻が、晩御飯の準備をしている。
 「おりんさんは?」
 「近所の商店街!」
 「どして?」
 「お祭り!」
 「じゃあ、タンバリン連れて散歩に行こう!」
 「怒るわよ、パパとママに見られたくないお年頃なんだから!」
 「見て見ぬ振りすりゃいいじゃん!」
 「そうね!」
 と、いうわけで、タンバリンの散歩がてら、商店街の盆踊りへ。
 雑踏ではしゃぐと困るので、タンバリンを抱っこすると、なんと、じっとしている。
 「なんでこんなにおとなしいの?」
 「暑いから歩くのかったるいのよ!」と妻。
 そんな犬いるか?
 商店街の混雑で、ひときわ可愛い(親バカ)おりんさんを発見。
 見て見ぬふりをしながら、同じ中学のお母さん方と談笑。
 帰りも、おりんさんと別々に帰るのであった。

 晩御飯は、お魚干物焼きと、枝豆と、肉豆腐。
 缶ビールが進むのであった。
 そのうちおりんさんも帰ってきて、明日からのテストの準備。
 え、明日からもうテスト?
 中学生も大変だ・・・・・・
 パパも負けずに、明日の質問準備しよう・・・・と思いながら、缶ビールで酔っ払って爆睡。
 情けない親だ。

 8月22日

 夜遅く、合唱団の合宿から帰ってきたおりんさん。
 ママが作った海老フライを食べながら、想い出話。
 これが青春。

 8月19日

 朝7時半、おりんさんを渋谷駅バス停まで送っていく。
 今日から3泊4日、合唱団の合宿。
 妻は、さみしくて泣いている。
 なぜかおりんさんは、嬉しくてたまらないみたいだ。
 班長。
 ちっちゃい子のお世話が得意だからなぁ。
 楽しんできてほしい。

 夕方、土砂降り。
 早めに自宅に戻り、妻と二人、晩御飯。
 おりんさんがいないと、やっぱりさみしい。

 8月18日

 午後9時半過ぎ、自宅に戻り、晩御飯。
 おりんさんは、明日からの合唱団合宿に備え、荷物もパッキングし、準備万端。
 「今年は最高学年で班長だから、大変なんだよね!」
 「みんなで歌う曲も決めなきゃいけないし!」
 「後輩の面倒もみなきゃいけないし!」
 「キャンプファイヤーもあるし!」
 と、気合入りまくりなのである。

 ママの作った晩御飯(ギョーザ・麩の煮物・わかめのお味噌汁)をいただきながら、おりんさんの世間話に耳を傾けるのであった。

 8月15日

 扇風機がぶぅぅぅぅんと鳴っている。
 その音で目が覚めた。
 午前5時。
 もう明るい。
 そっか、クーラーがないので、扇風機を回しながら寝たんだっけ。
 田舎は、これで十分だ。
 おりんさんも、両手を万歳して、気持ち良さそうに寝ている。

 おりんさんは、午前7時過ぎからごそごそと起き出して、居間でるーしげじおさんと世間話している。
 楽しそうだ。

 午前8時45分には、早朝2時から自転車で仕事に出ていた母ちゃんが帰ってきて、朝ごはんの準備。
 「盆の朝 家族で食べる お赤飯」
 おかずは、からし味付け茄子と、お豆腐ときのこのお味噌汁、そして茄子とがんもどきの煮つけ。
 質素だが、最高に美味い。
 満腹。
 腹ごしらえをして、水シャワー。
 すっきりとして、ワイシャツに着替えて、金沢へ。

 金沢の百坂町の母を迎えに行き、そのまま護国神社へ。
 戦没者追悼&殉職自衛官追悼の平和祈願祭。
 英霊にこたえる会 主催。
 スタッフの米沢電気の社員の皆様が、土砂降りの中を駐車場係り。
 頭が下がる。
 感謝。
 来賓席に座る。
 おりんさんと母は、川村くんと一緒に参加者席へ。

 午後12時、日本武道館の戦没者追悼式の式典に合わせて、ラジオの音で、黙祷。
 激しい雨の式典だったが、通り雨だった。
 式典終了時には、雨も上がった。
 少し涼しく、もわっとした熱気も残る。
 米沢社長に、おりんさんや母と一緒にご挨拶。
 川村くんもご挨拶。 

 終了後、近江町市場に行くという母を武蔵で下ろし、興法寺村へ向かう。
 でも、夜の花火で使う着火マンがないということに気づき、おりんさんを生まれて初めてホームセンターに連れて行く。
 乙丸陸橋下の、ホームセンタームサシ。
 あまりのでかさに、びっくりのおりんさん。
 「凄い!東京で観たことない!」と。
 そりゃそうだろう、23区内にはこれほどでっかい土地はなかろうから。
 花火コーナーで、叫ぶおりんさん。
 「すご〜〜〜い、爆竹20連発だぁぁぁ!」
 と、感激の面持ち。
 そりゃそうだ、都会で爆竹20連発なんてやろうものなら、警察と消防局に通報されて、大変なことになっちまう。
 田舎なら、心おきなく爆竹20連発できる、ということで、期待に鼻の穴をふくらませるおりんさんに応えて、爆竹20連発購入。
 しばしホームセンター内を散策し、感動の親子なのであった。

 午後5時半、おりんさんを連れて、今日もまた、「和おんの湯」へ。
 役山区長に、国政報告会後の飲み会のお誘いをいただいたが、残念ながらその先の約束だった。
 金沢からわざわざ聴きに来てくださった高畠さんご夫妻や、氷見さん、川村くんとも合流し、お風呂の後は、金沢市百坂町にある8番らーめん森本店。
 ちょうどお墓参りから帰ってきた馳良一さんご家族とも合流し、一同12名で8番らーめん。
 お盆に8番らーめん・・・粋だ。

 午後8時40分過ぎ、中野秘書の運転で興法寺の実家に戻り、お待ちかねの大花火大会。
 いきなり爆竹20連発。
 はせ浩の策略で、もう少しで爆竹の餌食になりそうだった、るーしげじおさん。
 酔っ払って、ビビって、ころびそうになったおじさんに、おりんさんとゆかちゃんも大笑い。
 「この二人、あほな兄弟や!」
 って、確かに・・・・

 8月14日

 午前5時には、おりんさんも起き出してきて、荷物を整理。
 「小矢部のおばあちゃん元気かなぁ」
 などと言いながら、几帳面にミッキーのバッグの中を整理している。
 パパも5時半にはシャワーを浴びて、準備万端。
 パパとおりんさん二人とも3日間も家にいないので、ママは泣いている。
 「さみしいよぉ・・・・」と。
 本当なんだろうが、ママはママで、仕事があるのであった。
 それにタンバリンとマーブルとピッコロがいるじゃないか。

 午前6時には自宅を出て、車で羽田空港へ。
 レインボーブリッヂから見る風景に、おりんさんも嬉しそうだ。
 「電車で行くのもいいよねぇ。電車の風景もいいよねぇ・・・」
 などとつぶやいている。
 あらら、首都高速がすいてて、6時半前にはもう着いちゃったよ。
 でも、6時半過ぎでもう、駐車場は満車ぎりぎり。
 なんとか6階に停められた!
 駐車場に車を停めてから二人で歩く。

 エレべ−ターで、親子連れと一緒に。
 エレベーターを降りると、おりんさんがパパの耳元でつぶやく。
 「ねぇねぇ、パパ、あの夫婦、口げんかしてたよ!」
 「ねぇねぇ、みんな喧嘩してるよ、だいたい奥さんが夫に文句言ってるよ!」
 と、その観察眼は鋭い。
 「お盆休みの旅行なんて、だいたい奥さんのきげんが悪いもんさ。」
 「じゃあ、仲が悪いから離婚するのかな?」
 「さぁ、どうでしょう? しないんじゃない? いつものことじゃないの。」
 「そうだよね、昔から言うでしょ、いやよいやよも・・・・」
 「好きのうち? それってちょっと違うと思うけど。うちのママだって、よく怒るでしょ?」
 「・・・・同意したいけど、できない。」
 と、いうわけで、ママの話はタブーなのであった。
 つまり、どこの夫も、子どもを連れて旅行に行けば、多かれ少なかれ、妻から責められるということなのだ。
 違う?

 空港2階の売店で「マイセン」のカツサンドを買い、待合室で食べながら、8時15分の出発を待つ。
 あれま、おりんさんはカツサンド食べたら、すぐに寝ちゃったよ!

 8時15分、ANA一番機で小松へ。
 曇り空。
 飛行機の中でもおりんさんは、ずっと寝たまま。
 もともと飛行機酔いが激しいのだ。
 でも、着陸寸前になって起き出して、外の景色を見て、感嘆。
 「パパは、いつもこの景色見てるの?」
 「そうです! 毎週2回です。」
 「いいなぁ、あたしなんて飛行機乗るの、一年に一回だもん!」
 「だったら毎週パパと一緒に、金沢に来ますか?」
 「それはできません、学校があるから!」
 と、いうわけで、無事に小松空港に到着。
 小松航空自衛隊のジープに感激しながら、SUZUKI「EVERY」に乗って金沢へ。
 「パパ、音楽かけてよ!」
 「よっしゃ!」
 と、いうわけで、北陸自動車道を走りながら、「グリー」CD盤を聞く。

 金沢に着いてすぐに百坂町のおばあちゃんを乗せ、吉原町のお爺ちゃんのお墓参り。
 帰りに近所の「とらや」でお昼ご飯。
 メニューには「冷やしラーメン」。
 「冷やしラーメンと冷やし中華って、違うんですか?」
 「・・・いっしょです!」
 なんだ。
 お隣に住まいする山田ひろしもやってきて、4人で世間話し。

 終了後、山側環状道路のユニクロへ。
 おりんさんが欲しがっていた、白いポロシャツ購入。
 998円、安い。
 荒山トンネル通って福光へ移動。
 近くなったもんだ。
 福光「道の駅」で一休み。
 そして、安居の斎藤家へ。
 いっちゃんはいなかったが、お婆ちゃんにご挨拶。
 そしたら、3女のゆうこが、さっきおりんさんが買ったのと同じ白いポロシャツを着ているのであった。
 「それ、ユニクロで買ったでしょ!」
 「なんで知っとるが?」
 「たった今、ユニクロで買ってきたばっかりですから!」
 ・・・・

 ご挨拶後、安居寺の斎藤家のお墓参り。
 「階段昇っての2段目右側だよね!」
 と、おりんさんは場所を覚えているのであった。
 なんまんだぶつ、なんまんだぶつ、なんまんだぶつ。

 終了後、興法寺村の実家へ。
 おじいちゃんもおばあちゃんもるーしげ(茂)も待っていてくれて、おりんさんはすっかり田舎の顔。
 「田舎はいいなぁ」
 「じゃあ、田舎に住めば」
 「それは、無理」
 という、毎年の会話。
 一休み後、いただのおばちゃんご挨拶へ。
 そして、興法寺村のお墓参り。
 カンカン照りのお墓に水をかけ、お花を供え、ろうそくに火をつけ、線香に火をつけ、なんまんだぶつ、なんまんだぶつ、なんまんだぶつと御先祖様に感謝の念仏。
 最後に、石動の「乗光寺」さんへ、馳家のご本家のお墓参り。
 先般お亡くなりになった故馳良平さんも、眠る。
 昨年のお盆はあんなに元気だったが、今年は初盆。

 やった、全部終了。
 帰りにコンビニで花火と霧出しミニ扇風機(1200円)購入し、興法寺の実家へ。
 明日は、南部公民館で国政報告会。
 いっしょに参加する共産党の笠井亮さんの奥様のご実家にもご挨拶に寄る。
 さて、実家に戻ったら、横浜から次兄の功と、姪のゆかちゃんも到着していた。
 「朝3時に出てきたよ!」
 と、いうわけで、車を運転してきたんだそうな。
 「何時間かかった?」
 「関越から上信越通って、6時間やな!」
 って、そんなもんか。

 午後3時半、家族一同実家に揃ったが、しかし、テレビを見ていてもつまらないので、
 「和おんの湯にでも行くか!」
 と、いうことで、るーしげの車に家族一同7名が乗り込んで、一路金沢へ。
 荒山トンネルを越えて、東金沢駅そばの和おんの湯まで、なんと、25分でラクラク到着。
 近くなったもんだ。
 およそ1時間、たっぷりとお風呂に浸かり、サウナに入り、水風呂でからだを引き締める。
 途中、山田ひろし親子、もっちゃん、川村くん、氷見ちゃんたちもやってきて、やっぱりいつもの大宴会。
 帰りの車の運転は、じゃんけんに負けた、るーしげじおさん(おりんさんの呼び方)。
 るーしげじおさんは、じゃんけんにまけるは、ビールは飲めないは、回数券でみんなの入浴券を買わされるわ、自分の車を使われるわで、さんざんなのであった。
 しかし、それが長男というものだ。 

 午後7時、興法寺の実家に帰り、酒盛り再開。
 大谷浩夫くんもわざわざ冷たいキリンビールを持って、遊びに来てくれる。
 感謝。
 茄子のよごすや、茄子のからし漬けや、どじょうのかば焼きや、おいしい餃子や卵焼きをつまみに、「久保田」をいただくのであった。
 幸せな田舎のひと時。
 おりんさんは、夏休み後に行われる、定期試験の試験勉強ドリル。
 しかし、パパや、るーしげじおさんや大谷浩夫くんにちゃちゃを入れられて、なかなかすすまないのであった。
 そんなもんだよ、人生なんて。
 「で、おりんさんは、将来何になりたいの?」
 「テレビ局の制作マン!」
 「じゃあ、芸術高校がいいなぁ。大学も多摩美大とか、日大芸術学部とかいいんじゃないの?」
 「・・・だって、勉強嫌いだし・・・」
 「それは、自分次第じゃないの?」
 と、いうわけで、酒盛りはいつしかおりんさんの人生相談になったりするのであった。
 すっかり酔っ払ったあたりで、花火大会。
 コンビニで買った打ち上げ花火を、田んぼに向けてぶっ放す。
 なかなか導火線に火がつかなくて、パパは時々自分の指に火を点けちゃって、
 「あっち〜〜〜〜あっちあっち・・・・」
 と、ひっくり返っていたら、
 「ばかみたい!」
 と、蔑まれるのであった。
 まぁね、酔っ払ってるから。
 50歳になったって、こんなもんだよ。

 暗い夜道をとぼとぼと歩いて帰る、やっぱし50歳の浩夫君をお見送りし、本日の大宴会はこれにて終了。
 明日はあれだな、津沢の大花火大会だったな! 

 8月 9日

 午後7時、自宅に戻る。
 つい、寝てしまって、9時に迎えに行く約束のおりんさんから電話がかかってきたのは、午後9時10分。
 「ごめん、ねちゃってた!」
 「おやじぃ〜〜〜!」
 と、いうわけで、おりんさんはバスで帰ってくるのであった。

 おやじは、おりんさんが帰ってくるのを待ち切れず、ママが作った鳥の空揚げとソーメンと、茄子とししとうの炒め物を、パクパク食べるのであった。
 で、帰ってきたおりんさん。
 「おやじぃ〜〜、先に食べてるよ!」
 って、何か、悪い?

 家族一緒に、サッカー日本対韓国の圧勝を喜び、ボクシング井岡の貫禄の拳に酔いしれる。
 井岡、かっこい〜〜〜〜!

 8月 9日

 午前7時半、国対到着。
 執務準備をしていて、ふと気付く。
 あれ?明日の文部科学委員会質問資料がない!
 もしかして、自宅の棚の上?
 蒼ざめる。
 そそくさと車に乗って引き返す。

 自宅の玄関開けて階段をどたどたと上がると、何事かとおりんさんが、むくっと起き上がる。
 慌てているパパに向かって、
 「動揺してますね!」
 と叫ぶ。
 (ちくしょー。こんなときにギャグ言ってどうすんだ!)
 と、思いながら、確かに動揺していた。

 8月 8日

 自宅に戻ると、おりんさんがいない。
 「お友達の家に行ったわよ〜〜!」と妻。
 音楽の編集をしているらしい。
 もう7時なので、近所のセブンイレブンまで迎えに行く。
 タンバリンが期待してすり寄ってくるので、タンバリンも連れて散歩。

 セブンイレブンに行くと、お惣菜売り場で何かを物色中のおりんさん。
 「パパー、NHKテレビ見たよ。動揺してますね!のセリフが最高だった!」
 って、それセリフじゃないっつうの。
 でも、おりんさんにそこまでの詳しいことはわからない。
 「動揺しましたね!」が、印象的ならそれでいいのだ。

 8月 5日

 午前7時過ぎには、着替えて国会へ。
 リビングでは、おりんさん、ぐんにゃり。
 タンバリンが、そばで一緒になって寝ている。
 「パパ国会に行ってきますよ〜〜!」
 と、言っても、
 「ふぁ〜〜い!」
 と、ソファから手を振るばかり。
 よっぽどディズニーシーで遊び疲れたのだろう。

 8月 4日

 午前7時前、自宅出発。
 妻とおりんさんと、そしておりんさんのお友達を乗せて、パパは運転手となるのであった。
 おとなしく運転していたパパは、
 「今からディズニーシーだ!うっきゃ〜〜!」
 という、年代は違うがテンションの高い女を3名、車に乗せて、朝から少々気が疲れるのであった。
 「ところで、おりんさんのお友達は、お小遣いもらってきたの?」
 「はい、パパとママの腰を3時間もマッサージして、二人からお小遣いもらいました!」
 と、嬉しそうだ。
 「で、おりんさんは、お掃除したの?」
 と、聞くと、鼻の穴をゆがませながら、
 「え〜〜〜、自分の部屋と階段は掃除したよ。それにパパの背中掻いてあげたじゃないの、5分か10分ほど!」
 と、恩着せがましく、口を尖がらせるのであった。
 無事に3名をディズニーシーの前の横断歩道で下ろし、肩の荷を下ろした気分で、国会に向かう。

 午後9時、朝はハイテンションだった世代の違う女3名を迎えに、ディズニーシーに行く。
 やっぱり夜もハイテンションで帰ってきた。
 出口に迎えに行ったら、出口右側のショップにまた入り直して、買い物始めちゃったよ。
 朝からもう13時間も経っているのに、君たちは怪獣か?
 ディズニーシー10周年の夜のパレードショーが、ことのほかお気に入りだった様子で、
 「きれいだったわぁ」
 「素敵だったわぁ」
 「夢のよう」
 と、目がハート??になっている。

 8月 3日

 午後9時過ぎには自宅に戻り、予算委員会に向けての資料整理。
 おりんさんは、ゆかたを着て、お友達親子と築地へ。
 夏祭り。
 いいなぁ、青春は。

 8月 2日

 午後6時過ぎに、自宅に戻る。
 最近ちょっと休みがなくて疲れていたので、妻に、
 「二の土用の丑の日だよ。うなぎ食べに行こうよ!」
 と、お願いすると、
 「ええええええええ、もうご飯炊いたのに。でも、ま、いいわ、冷蔵庫に入れときゃいいし。渋谷のプラザの9階に行きましょ、あそこのウナギ美味しいから!」
 と、いうわけで、あっという間に気分転換した妻のおかげで、ウナギに決定。

 親子3人、バスに乗って渋谷へ直行。
 東急プラザのエレベーターで、同じ9階に向かう米沢さんと久しぶりに遭遇。
 石川県の総務部長として出向していて、息子さんはおりんさんと同じ小学校の1学年下の顔見知り。
 「おつかれさまでっす!どこ行くの?」
 「うちは、銀座アスターにしようかと!」
 「うちは、ウナギでっす!」
 と、わけのわからない会話を交わし、二手に分かれる。
 待ちに待ったウナギだぜ!
 茄子の浅漬け、ウドの酢味噌、牛スジなどをつまみに、レモン酎はいで乾杯。
 ママはひつまぶし、パパはうな重、おりんさんは天丼。
 それぞれに願望を果たし、幸せ満喫。

 帰りに、TSUTAYAをぶらりと観て、そして駅前のあやしい屋台書店で、明日発売の文春新潮を購入。
 「あれ、文春新潮は明日の夜発売じゃなかったっけ?」
 と妻。
 「ほんとうはそうなんだけど、うちだけ今日なんだ、内緒ね!」
 って、何が内緒なんだ?
 渋谷駅前のエスカレーター前のど真ん中で販売してるのに。
 ま、いいや、文春を読みたがっていた妻の期待にこたえてくれたのだから、よしとしよう。
 帰りも満員バスに乗って、親子3人、ぶらぶらと帰るのであった。
 「ところでおりんさん、お部屋のお掃除しましたか?」
 「したよ、自分の部屋と階段は!」
 と、鼻をひくひくさせるおりんさん。
 「じゃあ、ディズニーシーで、何にいくらお金を使うかのリストは?」
 「もう作りました。どこへ行くかもチェックしたんだもんね〜〜!」
 と、さらに鼻をひくひくさせているぞ。
 「わかりました、では、お小遣いをあげます!」
 と、財布からお小遣いを出してあげると、万歳して大喜びのおりんさんなのであった。
 とても、幸せだ!

 8月 1日

 午後9時過ぎ、東京駅到着。
 今朝来た逆のルートで、地下鉄に乗って自宅に帰る。
 家に到着すると、おりんさんがまだ起きていた。
 荷物を片づけて、絨毯に寝転がったパパの上に乗っかってきて、ソファ代わりにしながら、パパをじっと見つめるおりんさん。
 こういう行動に出るときは、魂胆が見えている。
 お小遣いが欲しいのだ。

 「で、どこに行くのさ?」
 と、聞くと、
 「ディズニーシー!」
 と、パパそっくりの鼻をひくひくさせながら、パパを5センチメートルの至近距離で見つめるのであった。
 「そんなに至近距離で見つめても、お小遣いは出てこないよ!」
 「えええええええええええええ!」
 「ママにもらえばいいじゃん!」
 「だって、ママのお小遣いをもらったら、ママがエステに行けなくなっちゃうから、くれないんだもん!」
 (なんじゃそりゃ・・・理解できるけど)

 「じゃあ、明日、おうちの掃除をして、ディズニーシーで何にいくらくらいかかるか、教えてくれたら、考えます!」
 「えええええええええ、お掃除苦手なんだもん!」
 「そうはいきません。中学生なんだから、夏休みはお手伝いしなきゃ!」
 「ふぅぅぅぅぅんん・・・」
 と、不満そうなおりんさんなのであった。
 さて、明日はちゃんと掃除をするでしょうか!

  

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