2009年12月
 


   

 

鈴音ちゃん成長記録(はせ日記から抜粋)

12月27日

 始発便で東京へ。
 羽田空港からは、自宅に直行。
 すぐにジャージに着替え、妻とおりんさんを車に乗せて、レッツゴー!
 向う先は、高尾霊園。
 妻のお母さん(義母)の17回忌。
 1993年、12月27日、お亡くなりになったお母さん。
 静かに眠る高尾霊園へと、お参りに。

 東京は快晴。
 中央高速もすいすい。
 タンバリンも、パパの運転席に座って窓外を眺めて、ご機嫌。
 お墓に到着し、まずはお墓の掃除。
 親子3人、もくもくとお掃除。
 おりんさんも率先して、草むしりや墓石磨きに汗を流す。
 小1時間、雑草も取り除き、植木も切りそろえて、お墓の周りをきれいに掃除。
 そして、お花を供え、線香をたいて、両手を合わせる。
 お母さんに、感謝のお参り。
 今年は、選挙の年だったので、春分の日も秋分の日も、お彼岸にもお墓参りに来られなかった。
 そのお詫びも込めて?両手を合わせ、鎮魂のお参り。
 年の瀬にお墓をきれいにして、そして親子でお参りできて、ほっとした。

12月19日

 午前9時より、夫婦でおりんさんの小学校へ。
 図画工作や家庭科の作品展覧会。
 枕カバーと、イスと、創造の画。
 体育館一杯に展示された、全校生徒の作品は圧巻。
 天井から吊るされたゴミ袋と、風船をモチーフにした6年生の作品。
 ステージ脇に掲示されている、5年生を寝かせてなぞった掛け軸。
 4年生が、透明な傘に想像画を描いた作品が手すり一杯にかけられているバルコニー。
 3年生は、天井から吊るしたオブジェ。
 2年生は、松の木の個性的な葉っぱ。
 色つき水をペットボトルに入れた、1年生の作品が階段の脇に飾ってある。
 各学年がテーマを決めて作った作品で、学校中が埋まっている。
 すごい。

 これすべて図画工作の金子先生が独りで指導して作らせた作品とか。
 すごい。
 美術館に来たみたいな衝撃。
 小学生の想像力をここまで引き出す授業はどんなだろう?
 妻と二人で感嘆。
 見学後は、おりんさんの算数の授業見学。

12月15日

 昨晩、自宅に戻ると、オリンさんが独りで留守番していた。
 「苦しい・・・」と、いって泣いていた。
 「どうしたの?」と、聞くと、
 「お腹が痛い・・。」と、苦しんでいた。

 寒い部屋に独りで泣きながら待っていて、さぞ心細かったろうにと思うと、申し訳なくなった。
 「どうしてお腹が痛くなったのかな?」と、聞くと、
 「肉じゃが食べ過ぎた・・・」と。
 ママが作っておいてくれた肉じゃがが美味しすぎて、つい食べすぎて、食べた後にベッドにうつぶせになって、宿題をしていたのだそうだ。
 そしたらお腹が圧迫されて、痛くなったのだそうだ。
 ・・・・・
 理由がわかったので、毛布をかけて、しばらく横にしておいたのであった。
 肉じゃがねぇ・・・俺にも残しておいてくれよ!と、パパは思ったのであった。

12月11日

 夜は、おりんさん12歳のお誕生日。
 金沢のY沢社長より、お誕生日のプレゼントにマフラーと室内スリッパをいただいて、感激。
 外は雨が降っていて寒いが、おりんさんの心は温かいのであった!

12月 8日

 午後8時半には、車を運転しておりんさんを迎えに行く。
 正面玄関でパパを見つけて、嬉しそうに抱きついてくるおりんさん。
 まだまだ?パパが大好きなおりんさんなのであった。
 「漢字のテスト100点だったじゃん? 字も上手になったね!」
 「ウン、まぁね!」
 と、パパと良く似た鼻の穴を、ぴくぴくさせるおりんさんなのであった!

12月 1日

 2時56分起床、読書。
 おりんさんは、長い手足を自由自在に操って?布団をあっちこっちに蹴飛ばしている。
 しわくちゃになったその布団を拾い集めて、またおりんさんにかけてあげるも、また蹴飛ばすおりんさん。
 その繰り返し。
 そばで寝ているタンバリンまで、蹴っ飛ばされて迷惑そう?
 余りの寝相の悪さに、ママまでがあきれて、となりのおりんさんの部屋に行っちゃったよ・・・
 パパも読書どころではない。
 でも、おりんさんは、暖かいので湯たんぽ代わりにしながら読書続行。

 

  

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