2006年8月
 


   

 

鈴音ちゃん成長記録(はせ日記から抜粋)

8月23日

 今日は霞ヶ関見学デー。霞ヶ関で働くお父さんお母さんの職場見学の日。文部科学省でもいくつかのイベントをしているので、おりんさんを連れて副大臣室へ。
まずは10階で科学技術のお勉強。水圧でカップヌードルの容器がぺしゃんこになる実験を実演してくれる。
「10時45分からですよ!」
との笑顔のお姉さん。

「あと5分あるから見ていこっかー!」
とおりんさんと心待ちにその実験のテーブル前で待つ。ところが45分になっても延々と実験の説明をしていてなかなか実験が始まらない。痺れを切らして、
「説明はもういいから実験してくださいよー!」
とクレームをつけると、お姉さんから、
「はい、お父さん、もう少し辛抱してくださいねー!」
と軽くいなされる。

「パパ、せっかちなんだから、もう少し待ちなさいよ、恥ずかしいなぁ!」
と、娘にまでだめだし出されて、パパはうなだれるのであった。
そして、静かに待った甲斐があって、実験開始。水圧を徐々に掛けていくお姉さん。すると、水深200メートル、300、500、700、・・・1000メートルを超えると、カップヌードルの容器は見事にぺしゃんこに!
当然、容器の分子の中に入っていた空気が抜けて気泡となり、容器の周りにはあぶくのような泡が付着していて、中から空気が抜けたことが一目瞭然。
おりんさんもびっくりするやら感心するやらで大喜び。
 こういう実験を目の当たりにすることで、子どもたちは世の中の不思議にチャレンジする柔らか科学頭が進化するんだろうな、とパパも感心するのであった!

 続いて、3階では手作りロケットを製作して、アルコールを塗って着火させて3メートルほど飛ばす実験。
 これは、ロケット発射の原理と同じで、まさしくミニチュア版実験。図画工作の大好きなおりんさんはここでも熱心に丁寧に紙を切ってロケットを作り、側面にどくろと幽霊とパパの絵を画いて、「おりんさんロケット」完成。
 パパは必要以上にロケットの内側にアルコールを塗り、お姉さんに「お父さんそれは塗りすぎですよ!」と叱られながらも着火! すんごい大音量を発してロケットは壁に激突。その勢いには、素直に感動!!!
 あまりにも楽しくて、隣の丸の内三菱ビルの地下一階に移動して、竹とんぼも作ったりして、なぜかおりんさん以上にパパが楽しいのであった!
 お昼ごはんは丸の内ビル5階の「満天」で、ビジネスランチ。なんと、おりんさんは大人のビジネスランチを一人ですべて平らげる大食漢。子どもが大人のランチを完食するのを見ると、これまた素直に成長ぶりを感じて嬉しいのであった!
 そんなこんなで、親子ともども大喜びの「霞ヶ関親子見学デー!」だった。

8月22日

 「おりんさん、あせびっちょりかいて、からだがねちねちじゃないの! お風呂入りなさい、お風呂!」
 お風呂が嫌いなおりんさんは渋るのであったが、
 「シャワーだけでもいいから入りなさい!」
 というと、
 「パパもいっしょに来てよ!」
 とぐずぐず言いながらも、いっしょに入るのであった。

 なぜにぐずぐず言うかというと、この直前にテレビで「本当にあった怖い話〜ほんこわ〜」を見ていて、幽霊の話にビビッていたから暗闇に一人で行けなかったのである。幽霊の話が何よりも嫌いなパパに、
 「いっしょに見ようよ、パパ、ほら見なさいよ!」
 と強気に言っておきながら、いざいっしょに見ていると自分のほうが怖がっているんだから、なんだかね〜〜〜この子は・・・・

8月17日

 今朝も蒸し暑いが昨日ほどではない。布団の中でごろごろ寝返りを打ちながら
 「田舎がいいなぁ・・・帰りたくないなぁ・・・」
 とつぶやく。
 「どうしてさ! 帰らないとママが寂しがるよ!」
 「ママには会いたいけど・・・」
 「田舎のどこがいいのさ?」
 「自然があるし、おじいちゃんと遊べるし、おばあちゃんの御飯美味しいし、友達もできたし、星が綺麗だし、やっぱりのんびりしてるし。東京ってあれジャン、人が一杯いてごみごみしているし。」
 「そういえば、ゲーム機持ってきたのに一回もしてないね!」
 「パパがいないときにしたんだけど、10分でやめちゃった。ゲームつまんないし。あやとりしたり、編み物したりしておじいちゃんと遊んでるほうが楽しいし・・・・」
 というわけで、すっかりと田舎のとりこになったおりんさんなのであった。

 6時前には起きだし、コンビニで新聞を買い、安居の自然公園を観に行き、そして朝御飯を食べて、お風呂。あっとうまに楽しい田舎暮らしは終わり、帰ることに。
 「ねぇ、パパー今度はいつ連れてきてくれるの、富山に?」
 「すぐね?」
 「すぐっていつよ? 8月? 9月?」
 「連休のあるときで、パパのお休みが取れるとき!」
 「パパはいつも仕事で家にいないジャン!」
 「・・・・そのうちにね」
 「そのうちっていつさ?」
 というわけで、来週にでもまた帰って来たい勢いのおりんさんなのであった。

 金沢の実家により、金沢のおばあちゃんとも記念写真を撮り、金沢事務所にも寄ってから小松空港へ。
 「はぁ〜〜あ、田舎って良いなぁ。都会はやだなぁ・・・田舎は良いなぁ・・」
 と延々とつぶやくのであった。

 しかし。飛行機が羽田に着いたとたんに、
 「映画行こうか! パパ今日はお休みでしょ!」
 「森のリトルギャングだね!」
 と気分転換し、家に着いたら着いたで漫画本をむさぼり読むのであった。おいおい、それじゃあ、田舎に帰省する前の生活といっしょじゃないのさ! あんたさんは、意外と環境適応能力にすぐれているわけね・・・

 そういうわけで、夕方から渋谷に出かけて「森のリトルギャング」を鑑賞。
 家に帰ったらママが仕事から帰ってきていて、ママに甘えてすっかり元通りのおりんさんなのであった。

8月16日

 「パパー、おばあちゃんにお土産あげたよ!」
 「え! 何々?」
 「ピンキー1個!」
 「・・・・ピンキーって、あのピンキーちょ〜だい♪ ピンキーちょ〜だい♪、のピンキー??」
 「そうで〜〜す^−^」
 「どうして1個なのよ?」
 「だって、あと全部食べちゃったんだもん・・・」
 「1個だけかよ〜〜」
 「でも、1個だけだけど、ハート型だよ! ハート型!」
 って、力説するほどのことでもねえだろうが!

 暑くて寝苦しくて目覚めたので、いっしょにシャワーを浴びてすっきり。
 近所、といっても3キロほど離れたコンビニまで朝のドライブ。

 夜、興法寺の実家に戻ると、おりんさんは、昼間プールで仲良くなった子どもたちと一緒に花火をしているのであった。

8月15日

 リーちゃんを連れて里帰り。
 金沢のおばあちゃんにあいさつして、おじいちゃんの墓参りに吉原町のお墓へ。

 11時過ぎに石川県護国神社お参り。
 「英霊を支える会」主催の戦没者合同慰霊祭。
 隣に座っている森先生のスーツにカメムシがうごめいている。それが気になるおりんさん。
 小さな声で、パパのわき腹をつつきながら、
 「パパー、もり先生のお腹の中にカメムシが入っていったよ!」
 「じゃあ、教えてあげなよ!」
 「・・・・だってぇ、怖いんだもん!」

 「森先生怖くないじゃない、教えてあげなよ!」
 「森先生が怖いんじゃなくて、カメムシが怖いの!」
 「教えてあげなよ!」
 「・・・・このあとどうなるんだろう・・・楽しみだ!」
 ・・・って、人が悪いんじゃない?

 結局、森先生の巨体の中で圧殺されたカメムシは、森先生が来賓あいさつで立ち上がった瞬間にスーツのお尻のほうから転がり落ちてきて、照りつける太陽の下でひっくり返っているのであった、足をばたばたさせて・・・・可哀そうに・・・・
 「パパー、森先生、カメムシつぶしちゃったよ!」
 って、そんな大きな声で言うんじゃないよ、後ろに座っている奥田先生が笑いをかみ殺しているじゃないのさ!

 慰霊祭終了後、護国神社前の「大東亜聖戦慰霊碑」にお参り。
 その慰霊碑の前に、よしりんこと小林よしのりさんが献上した桜の木がある。その前に、「萬霊鎮魂」と書いた慰霊碑がある。その字は俺の字だ。慰霊碑を守る会の中田会長に頼まれて数年前に書いた字だ。

 「パパー、これ、なんて書いてあるの?」
 と俺に聞くから、せっかくだからと隣にいた北國新聞のブラックビューティーことS記者に聞いてみなさいとおりんさんに伝える。
 「お姉ちゃん、これなんて読むの?」
 「ばんれいちんこんだよ!」
 「なんて意味なの、パパ?」
 とさらに聞くので、今度は同じく隣にいた北陸中日新聞のにわかプロレスファンのS記者に教えてもらう。

 しかし、「ばんれいちんこん」の発音に敏感に反応したおりんさんは、せっかく言葉の意味を教えてもらっているにもかかわらず、大声でくすくすわらいをしながら、北國新聞のS記者を指差しながら、
 「ちんこんだってぇぇ!」
 とはしゃいでいるのであった・・・・親として情けないというかなんと言うか、S記者に呆れられるのであった・・・・

 午後は、小矢部市の実家へ。
 お昼ごはんを食べた後は、興法寺村の自慢のプールへ。しかし、数日前にプールのペンキ塗りをしたばかりとあって、まだ水を入れている途中で、半分くらいの水位。それでも、照る太陽には勝てず、二人で腕立て伏せをしながらプールにつかる。泳ぐというよりも、まさしく水に浸かっているような感じだ。でも、それがまた楽しい。

 午後3時からは、隣の公民館で国政報告会。
 石畠弥太郎区長が、
 「浩さん、そろそろプールから上がって国政報告会してや!」
 と呼びに来てくださるので、おりんさんといっしょに心残りながらもプールから上がって短パンに着替える。

 夜は、実家にて宴会。
 途中で津沢町の花火大会が始まり、おりんさんと茂といっしょに歩いて小矢部川のたもとの「ごうくち」へ。
 近いと思っていたらさにあらず、歩いて30分。それも、暗い夜道を街灯もなく、おりんさんをおぶったり肩車したりしながらあるいて30分・・・汗びっちょり。

 せっかく宴会で飲んだビールがすべて汗に! それでも、夜空に輝く慎ましい?花火を、近所の皆さんといっしょに橋の袂に座って見上げる。
 「神宮や墨田川の花火大会とは違うね!」
 と、規模の大きな花火大会の印象の大きなおりんさんとしては物足りないようだが、それでも30分ほどいっしょに夜空を見上げてご機嫌気分。

8月10日

 お腹が苦しくて夜中の2時半に目覚める。ただの食べすぎなんだが、息苦しいくらいにお腹が張っていて、眠れない。ママもそのようで、しきりに寝返りを打っている。ふぅぅぅ、晩御飯食べすぎたな・・・・
 朝方、おりんさんに叱られる。
 「パパねぇ、お腹が空いていても一気に注文しちゃだめじゃないの。お腹壊すよ! ちょびっとずつ頼んで、ウン!美味い!と思ったらまたちょびっとずつ頼めばいいんだよ! 一気に一杯頼むと食べきれないかもしれないじゃない! 気をつけなさい!」
 ・・・・って、なんで俺が小学校3年生に叱られなきゃいけねえんだ・・・

 朝はそういうわけで、昨日の残りのNGKたこ焼きを食べ(冷えていたけど抜群に美味かった!)、ホテルのプールに入って親子3人だらだら過ごす。
 11時にはチェックアウト。

 またも地下鉄御堂筋線に乗って新大阪駅へ。
 「パパ〜〜、車内放送で車掌さんが、ちいさいまち〜〜ちいさいまち〜〜、次は、ちいさいまち〜〜〜って言ってるよ!」
 ・・・それは、心斎橋! そんなこんなで、にぎやかな家族旅行はあっという間に終わり、品川駅に着いて無事自宅に戻る。

 夜は、おりんさんといっしょに近所の「さわやか」で晩御飯。ママは疲れてぐったりして、寝ちゃったよ・・・・

8月9日

 家族旅行。
 タンバリンとピッコロとマーブルは上野さんにお任せし、久しぶりの家族旅行。
 この日を指折り数えていたおりんさんは、
 「ユニバーサルスタジオJAPANのオズの魔法使い見たかったんだぁぁ!」
 と大喜び。
 「学校の夏休みの宿題で、夏休み新聞作るから、カメラ買ってよ!」
 ということで、撮りっきりのインスタントカメラを買ってあげて、旅行の楽しみのシャッターチャンスを自分で撮らせることにする。

 新幹線に乗り、新大阪までの2時間半は、ずっと、
 「あ〜〜楽しい!」
 「あ〜〜嬉しい!」
 「家族3人で行けて嬉しいな!」
 とにやにやしっぱなし。いつもは母子家庭?ゆえにお休みの日にいっしょに家族で出かけられることがことのほか嬉しい様子だ。

 新大阪に着いて地下鉄御堂筋線に乗ると、見知らぬおばちゃんが声をかけてくる。
 大阪のおばちゃんは、凄い。それを見ていたおりんさんまでもが、
 「耳痛い・・・」
 と小さな声でつぶやいているのであった。

 そんな大阪のおばちゃん攻撃にも負けず、なんば駅に着いてホテルにチェックインし、大阪府立体育館前のいつもの定食屋に行くと、あれ、やってない。しかたなく、その定食屋さんの前のお好み焼き屋に入って聞くと、
 「あぁ、前の店のおっちゃんなぁ、仕事中に倒れはって、そのまま死んでしもうたわ、もう4〜5年前の話やで!」
 ・・・・って、そっかぁ、俺もそんなにここに来てなかったか。プロレスの巡業時代は年に3〜4回は来てたからなぁ、南海ホテルに泊まって・・・なんだかんだいいながらも時間は流れ続けているんだなぁ。
 こうやって親子3人でお好み焼き定食とジャコ御飯を食べていることも、おりんさんの記憶の中でどうやって残っていくのかなぁ、などと考えながら、昼間っから生ビール一杯いただく。

 ご機嫌気分でUSJへ! 東京ディズニーランドを焼き直ししたようなUSJのセットなんだな、これが。
 パレードを眺めたり、映画撮影のセットっぽい建物の中で「バックドラフト」や「ET」や「ターミネーター」や「ジョーズ」のアトラクションを観る。なかなか臨場感があって楽しい。
 しかし、お目当てのオズの魔法使いのショー「ウィケッド」は、機械の不具合のため、開始15分前に中止。
 えええええええええええええええええええええええええええええええええ!
 何だよ、これを観るためにわざわざ東京からやってきたのに・・・・と愚痴っても仕方ない、機械の不具合なんだから・・・・・したがって、心残りをしながらも、夕方6時過ぎまで歩き回って遊びつかれ、なんばに戻る。

 なんばでは、大阪名物の「泉州堺の水茄子」とお寿司をいただき、帰りになんばグランド花月の前でたこ焼きをお土産に買って帰って親子3人ご機嫌気分。

 

  

 2006年7月へ 

 2006年9月へ 


 親バカのページ トップへ