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TOSS加賀/岩田史朗
2002年10月発行『道』第13号掲載論文
1.達成!授業分析100回
10月3日は記念すべき日となった。
ついに、ついに授業分析100回を突破したのだ。
同じテープ起しを続ける同志から次々と祝いのメールが届く。
感無量である。
今年度に入りパタリと授業分析をしなくなっていた。
テープには録音していたが、それを起す元気はなかった。
クラスが上手くいかない、忙しい等、言い訳ばかりを続けていたのだ。
転機は8月の算数セミナーであった。
セミナーには宮崎氏と下出氏が参加されていた。セミナー終了後、二人に誘われるままパーティーに参加した。
パーティーは、授業分析をさぼっていることもあり正直言って居ずらかった。
自分だけだったら決して参加しなかっただろう。
パーティーも半ばが過ぎ、盛り上がってきた頃であった。何と木村重夫氏がビールをつぎにきてくださったのだ。
木村氏はその際、最近授業分析が流れていないこと、発信しなければ情報が集まらないこと、TOSSでの居場所は発信することでつくられること等の話をしてくださった。
親身になって話してくださるその姿に感動した。その場で「2学期から再開します」と約束した。
パーティーから2ヶ月、授業分析の回数はついに100回を突破した。
思い返せばパーティーでのほんの数分間がなければ授業分析100回はなかったのだ。
声をかけてくださった木村氏、そしてパーティーに誘ってくださった下出氏、宮崎氏のおかげである。
本当に感謝である。
2.授業分析から抽出するこれからの課題10
9月から再開し、合計13回の授業分析を行った。
毎回の反省点からこれからの課題を10に分類した。
課題1 待たない
向山氏からあれほど言われてもなかなかなおらない。
全体の何割ができたら進むべきであろうか。まだその考えがはっきりしない。
そのときの場に応じてであろうが、これくらいという考えはもっておくべきだろう。
向山氏は8割主義と言われる。8割の8割と考え6割の子ができたら進むのではどうだろうか。
ただ、子どもの作業速度に差があるので、ただ待たないだけでなく時間調整の指示を用意しておきたい。(式を読ませる。花丸等)
課題2 明確な指示
指示がはっきりしないと質問の嵐となる。これをさけるためには、削りに削った言葉を準備すること、
そして、変化させずそのまま指示することが必要である。
昨年度木村氏の追試を続け後者が難しいことを痛感した。我流が入り込むのである。
謙虚に取り組まなければならない
課題3 子どもを鍛える
質問が出るのは教師の指示が悪いのが第一である。しかし、言われたことは一度で聞くという姿勢を育てることも大切である。どの問題をやるか等、繰り返す必要のないことは「言いましたよ」とつっぱねることも大事である。
声の大きさについては「せっかく答えているのに聞こえなきゃもったいない」「一番遠い人に聞こえる声で」等を繰り返しいっていく必要がある
課題4 シーンとした時間をつくる
とにかく気概である。
「黙ってやりなさい」この一言を毅然という必要がある。
何より集中している子の迷惑である。
課題5 先を読んだ指示をする
指示の遅れが取り返しのつかない失敗につながることがある。とくにノート指導で多い。
書き直しの指示やノートの使い方などは、早めに言っておく必要がある。
また、早めに言うためには自分でノートを作り、失敗を予測する必要がある
課題6 シンプルに例示する
子どもにそれができるか。初めての人間にそれができるか。常に考えておくべきである。
基本型を読ませるとき、一回聞いただけで読めるはずがない。大人でも難しい。
それを子どもに求めるのは酷である。
子どもが取り組めるよう細分化し、シンプルに例示する必要がある。
課題7 ほめ言葉の工夫
評価の言葉をできるだけやめ、評定をするようになってからほめ言葉のレパートリーは少なくなった。
評定の言葉であれば同じ言葉を使っても問題はない。しかし、多少のさみしさを感じる。
名前を呼ぶ、順位をつける等、工夫のできるところは工夫したい。
課題8 授業に巻き込む
授業に参加していない子がいる。それは、作業がない、何をやってよいかわからない等の原因が考えられる。
ボーッとしている子がいたら指さし確認や全員起立をさせることも大切である。
教師がそういった子を見落としてはいけない。
課題9 意味のない授業行為をしない
思いつきは慎むべきである。意味のない授業行為は思考を分断する。
教材研究に基づいた指示をするべきである。
課題10 子どもの身になった教材研究
授業案が子どもの思考にそっているか、ジャンプしていないか、常に考える必要がある。
ついついこれはわかるだろうと考えがちである。しかし、そうではない。
教師の目と子どもの目はあたりまえだが見えるものが全然違う。「これくらい」は禁物である。