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沿革親鸞聖人が越後へご流罪になられた道筋 を第3代覚如上人はご巡錫になられました。 その折に一宇の草庵をしつらえて本源寺と 名づけられ、第2代如信上人の13回忌を おつとめになったことに当別院は始まると 伝えられています。 その後、第5代綽如上人、第7代存如上人 の巡化があり、文明3年(1471)蓮如上人は 吉崎に坊舎を建立されてからしばしば金沢 へ足を運ばれました。 第10代証如上人は金沢御堂(尾山御坊)と され、阿弥陀如来像・親鸞聖人御影・実如上 人影像・金泥名号・親鸞聖人絵伝・聖徳太子 絵像・七高僧絵像を下付されました。 |
やがて天下統一の動きは、信長勢と本願寺との石山合戦などとなり、尾山御坊も佐久間盛政により 攻め滅ぼされました。前田利家が金沢へ入城して、城の後町(今の彦三・尾張町付近)に尾山御坊復 興の寺地を寄進し本堂が建立されました。3代目利常は石川郡安江村に寺地を寄進しました。これが 現在の別院のもとであると伝えられています。 やがて堂宇も数度の火災や天災に遭い、烏有に帰しましたが、加賀・能登・越中のお寺や門信徒の 懇念により現在の本堂が再建され、種々の堂宇が整備されました。 |
略年表 | ||
延元4年 | 1339 | 覚如上人本源寺開創。 |
長享2年 | 1488 | 一向一揆が加賀をおさめる。 |
天文15年 | 1546 | 金沢御堂(尾山御坊)建立。 |
天正8年 | 1580 | 尾山御坊が佐久間盛政に攻め滅ぼされ、金沢城となる。 |
天正11年 | 1583 | 前田利家が七尾から金沢城に入城。 |
天正15年 | 1587 | 前田利家から尾山御坊復興のため後町に寺地の寄進を受け、本堂建立。 |
慶長16年 | 1611 | 前田利常から現在地を寄進され移転。 |
元和元年 | 1615 | 本堂落成。 |
元禄3年 | 1690 | 焼失後再建。 |
寛永2年 | 1749 | 大破。 |
天保8年 | 1837 | 全焼。 |
嘉永2年 | 1849 | 現本堂落成。 |
安政3年 | 1856 | 鐘楼堂建立。 |
安政6年 | 1859 | 対面所移築。 |
慶応2年 | 1866 | 経蔵建立。 |
明治26年 | 1893 | 山門建立。 |
平成5年 | 1993 | 本堂修復。 |
平成13年 | 2001 | 金沢市指定保存建造物に指定(本堂・経蔵・鐘楼・山門)。 |
平成14年 | 2002 | 山門修復。 |
平成17年 | 2005 | 石川県指定有形文化財に指定(本堂・経蔵・鐘楼)。 |
平成26年 | 2014 | 金沢市指定有形文化財に指定(絹本著色本願寺三上人像(巧如、存如、蓮如))。 |
平成27年 | 2015 | 金沢市指定有形文化財に指定(旧竹沢御殿の時鐘)。 |
浄土真宗の教章(私の歩む道) | |
宗 名 | 浄土真宗 |
宗 祖 (ご開山) |
親鸞聖人 ご誕生 1173年5月21日(承安3年 4月 1日) ご往生 1263年1月16日(弘長2年11月28日) |
宗 派 | 浄土真宗本願寺派 |
本 山 | 龍谷山本願寺(西本願寺) |
本 尊 | 阿弥陀如来(南無阿弥陀仏) |
聖 典 | ・釈迦如来が説かれた「浄土三部経」 『仏説無量寿経』『仏説観無量寿経』『仏説阿弥陀経』 ・宗祖 親鸞聖人が著述された主な聖教 『正信念仏偈』(『教行信証』行巻末の偈文)『浄土和讃』『高僧和讃』『正像末和讃』 ・中興の祖 蓮如上人のお手紙 『御文章』 |
教 義 | 阿弥陀如来の本願力によって信心をめぐまれ、念仏を申す人生を歩み、この世の縁 が尽きるとき浄土に生まれて仏となり、迷いの世に還って人々を教化する。 |
生 活 | 親鸞聖人の教えにみちびかれて、阿弥陀如来のみ心を聞き、念仏を称えつつ、つね にわが身をふりかえり、慚愧と歓喜のうちに、現世祈祷などにたよることなく、御恩報 謝の生活を送る。 |
宗 門 |
この宗門は、親鸞聖人の教えを仰ぎ、念仏を申す人々の集う同朋教団であり、人々 |
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