酒は世につれ、世は酒につれ〜私の酒歴書 |
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第1話 おじいちゃんのコップ酒
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私は酒飲みである。小学校3年生の時から飲み始めたので、すでに27年間の酒歴を持つ。いなかは富山県小矢部市。きっかけは母方のおじいちゃんのお付きあいから。
近所でも大酒飲みで働き者で有名だったおじいちゃんは、春と秋のお祭り、お盆とお正月の年4回、親戚一同が実家に集合すると、必ず2つの大会を開いた。1つが宴席での酒飲み大会で、もう1つが酒飲み大会で生き残った者のみが参加できるマージャン大会。
私は小学校3年生に進級するとき、事情があって金沢市の親戚に養子に出された。ま、農家の3男坊の宿命というやつであり、当時としてはそんなに珍しいことではなかったが。しかし、おじいちゃんとしては少々不びんでもあったのだろう。養子先から戻ってくるたびに「おぉ、浩か。よく来たな。ま、一杯飲んでいけや」と私を横に座らせてコップ酒をすすめるようになった。
女衆は「おじいちゃん、やめなさいよ。浩はまだ小学生でしょう。お酒なんか飲ませてひっくり返えったらどうするの」とたしなめたりしたが、私が平気な顔でゴクゴクと二杯も三杯もコップを空にするものだから、おじいちゃんもその気になって「わしの孫じゃから大丈夫」と開き直ってしまい、以来、私は家父長公認の時だけ飲ませてもらえるようになったのである。おじいちゃんは議論をするのが好きで、手のあいた者をみつけるとそばに呼んで座らせ、酔ってねむたくなるまでしゃべり続けていた。子どもながらに覚えているのは、おばさんを交えた三人での議論。当時、中学生になっていた私と80歳をとっくにすぎたおじいちゃんと、中国残留孤児として40年ぶりに帰国して身元が判明したおばさん。議論のテーマは中国の民主化について。
おじいちゃんの主張は、近い将来、必ず中国は自由主義経済と政治の民主化を受け入れるということ。アメリカや日本と、モノやカネの交流がはじまれば、中国だって私有財産を求める社会風潮が高まるだろうということだ。これに対して、中国の農家に嫁ぎ、夫も子どもも残して一時帰国していたおばさんは、顔を真っ赤にして大反論。中国四千年の歴史から語りはじめ、とうとうと共産主義のすばらしさを演説するではないの。おばさんて日本人じゃなかったの?と突っ込みを入れると「私をここまで育てあげてくれたのは中国のお父さんお母さん。ご恩は一生わすれません」との答え。まさか帰国して実の父と中国問題で対立するとは思いもしなすかっただろう。
それから20年が過ぎた今日。おじいちゃんは大往生し、おばさんは中国の親戚30人を引き連れて帰国し、大阪に住んでいる。
おいおい、おばさん、あの時語った中国の素晴らしさはどないなったん?何で中国人の親戚引き連れて日本にやってきたの?と私の疑問は20年後の今も残っている。折りしも香港が中国に返還された年。おじいちゃんは草葉の陰で何と見るだろう...。※未成年者の飲酒は法律により禁止されています。お酒は20才になってから飲みましょう。
参議院議員 馳 浩