HIROTAの紹介 「何でもこい」コーナー
知り合いが新聞に登場しました。
                                            

 ちょっと古い記事ですが「知り合い」が新聞に紹介されている記事が見つかったので出してみました。                                               

北陸中日新聞 1996年(平成8年)11月16日(土曜日)「金沢」                                            

時代(いま)にいきる<137>
「江戸時代の庶民の生活見えてくる」
                                                      

「歴史のはざまに埋没してしまった加賀凧(たこ)を、再び金沢の空に舞わせるのが夢なんです」。凧を語る時の目は少年のようにきらきらと輝く。
 各地で郷土の伝統凧が堂々と揚がっている様子を見て「加賀百万石の金沢は、文化・芸術の都。どう して郷土凧が受け継がれていないのか」と感じたことが、凧に熱中するきっかけとなった。平成四年の秋だった。翌年明けから、妻の邦子さん(49)と二人三脚で金沢市内の図書館や歴史資料館に通って資料を探した。絶対にあきらめたくないというこだわり。当時の風習が詳しく書いてある民俗学の専門書を中心にシラミつぶしに調べたが、凧の記述のあるものを見つけるのは容易でなかった。
 およそ一年後、執念が実を結んだ。何気なく手にした古文書に加賀凧の種類が書かれた文献を図書館で発見したのだ。「見つけた時は、妻と二人で踊り狂いたいほどの心境でした」と当時を振り返って笑う。
 それからというもの仕事から帰宅した後は、文字通り「凧一色」。時間がたつのも忘れて、資料を参考に設計と制作に没頭した。円形の「福ら雀」は通常の角凧よりかなり複雑な構造。材料となる竹枠を作るだけでも、湾曲させるために竹を細かく割いて表面を丁寧に削り、ひもで縛ってから二−三カ月を要する作業を根を詰めて進めた。
「凧は簡単な枠組みだけでも揚がるんです。でも、より本来の状態に近づけたいという欲求を満たしたいという”こだわり”が膨らんで」。やがて地域の伝統をよみがえらせたいというだけではなく、自分自身のために凧を作り、凧を揚げたいと感じるようにもなったという。作っていると江戸時代の庶民の生活や文化、時代背景が見えてくる面白さもあった。「金沢の凧には、ほかにも数種類の型があることが分かった。その復元に挑戦していきたい」。凧への情熱は当分、尽きそうにない。
(文・写大とも瀬戸勝之)


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