2003年一月一日、新年にあたって
思えば、インターネットを始めたのが今から6年前、何としても年賀状に自分のページアドレスを書いて出さなければ、との思いで1996年の年末パソコンを求めて百万ボルトへ。
もちろんそれまでも、パソコンにはいろいろ活躍してもらっていたのですが、当時インターネットを動かすには、やはり最新の機械でないと快適環境ではありません。
とりあえず、パソコンをゲット!
同時に、百万ボルトと提携していた「incl」が「半年間無料キャンペーン」をやっていて、なにも考えず「これは得だ」とそのまま申込用紙に記入、仮パスワードをもらって今に至ることとなりました。
それ以来インターネットの世界は、毎日の生活・職場の場とあわせて、自分が存在する世界という、大きな位置づけを持つようになっています。
人によっては、仮想の世界・・・現実との乖離というようなことを感ずるようですが、私にとっては、現実の身近な生活とあわせて、なくてはならないものとなっています。
本を読んで調べる、電話で連絡を取り合う、会議で意見を交流する、これらの手段としてインターネットの世界が加わったということです。
しかし、それはとてつもなく広い世界を与えてくれました、はじめの頃に「カナダ」の書店から間違いファックスが届き、交流を経験したのをはじめ、世界世界規模でのインターネット利用によるメリットも感じられるようになっています。
日本中からページを見ての激励や、質問、意見交流などもあります。
そして、私にとっては「生健会」を紹介したページを通しての関わりが、インターネットを通して自分が関わっていくことにその意義を感じるものとなりつつあります。
自分が年齢を重ねることによる変化・・・・・・・・
昔は年寄りというのはそのことだけで社会で大事にされていた時代に育ったのですが、今は「年寄り」というのは「さげすみ(蔑み)」「社会の変化についていけない」「もの知りの反対のもの知らず」などの意味で使われる事が多くあると指摘する人もいますし、私もそう感じる事が多くなっています
・・・・・・・・が、どう自分のなかで変化してきたのだろうかと考える事ができるようになってきました。
肉体的な変化もありますが、それにもまして社会との関わり社会のなかでの存在についていろいろ感じることに気がつきだしたという気がします。
昔、年寄りが「わしは何でも知ってるぞ!」という目で見つめていた記憶があります。
今年の年賀状には「一人ひとりが雪の結晶のように輝く年に」と書きました。
私でいえば、今まで自分としていろいろなことに手を出して、十分とは言えないまでも力を尽くしてきたつもりですが、その多くは社会的立場としては弱い人達の側に立った課題ではなかったかと思います。
日本国民の多くがそうであるように、私自身も社会的に弱い立場で生まれ、育ちそして今も決して弱くないといえない生活をしているのですから、自分自身の課題でもあるといつも思っています。
今日のテレビ放送でこれはと思った最後の放送は、「イギリス」のエリザベス女王についてふれたものでした。
そういってしまえば簡単な言葉でも、それで済ませることが「結局その意味を否定する」事になってはいないだろうか。
「一人ひとりが輝く」
保育所の子どもたち
特別な子どもたちが存在するということを知らない子どもたちが、その存在を知りながら育つ
それは、先人である「私たち大人」の「大人の理論」を引き継いでしまうのだろうか・・・
親のために、学校のために、先生のために、社会のために、会社のために、お国のために、私の歴史はそれを何の疑問も持たず、それが美徳・目標との思いを持つ「文化」のなかで育って、私の意識を形成してきた。
「自己決定」「自己選択」・・・最近、これもインターネットで、障害者の方から相談メールをいただいたやりとりで、そういう概念について興味を持ち調べたものですが、自分の価値観が大きく変化せざるを得ない考えとして学びました。
それを知らずして「一人ひとりが」というような考えを「当然知っている」がごとく生きてきたわけですから、やはり恥ずかしい事なのだと思います。
社会のなかで自分の成長が自分の役割を大きくする、それが実感できる社会こそ「自分が輝く」ことだと思います。
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