馳浩の古典こらむ

 あひ見ぬも
 憂きもわが身の からころも
 思ひ知らずも 解くる紐かな

因幡(いなば)
生没年未詳
『古今和歌集』恋歌五より


 マラソンランナーの有森裕子さんがけなげに生きている。オリンピックでメダルを獲得した時に国民のヒロインとして誉(ほ)め称(たた)えていたマスコミは、彼女の私生活のトラブルを連日暴き出してかっこうのネタにしている。

 そのトラブルとは、結婚相手の夫の過去の行状。金銭的にルーズだっただのゲイだっただのと、全くの私人であるにもかかわらずこれでもかとプライベートにズカズカと土足で踏みこんで荒らしまくっている。

 有森さんは一スポーツ選手じゃないか。どんな人と結婚しようが、誰(だれ)に非難を受ける筋合いもないはず。百歩ゆずって『彼女も男を見る目がなかったのかねぇ』と論評できるにしてもそれだって彼女にとっては大きなお世話。このトラブルによって彼女のこれまでの実績や努力のつみ重ねまでが否定されるものでは決してない。長野パラリンピックの聖火ランナーという名誉ある大役まで奪われてしまったようだが、言語道断である。ハンディを乗り越えようとしている彼女こそ、この役にピッタリだと私は思う。

 この歌は『あの人に逢(あ)わないのも、こんなに私が悲しい思いをしているのもすべてわが身のしからしめるところである。そんな私の思いも知らず、あの人に思はれている印であるという衣の下紐(ひも)が解けることよ』という意味。

 夫婦生活なんて当事者の問題。有森さんの自業自得。それを周りが騒いで事を荒立てるべきではない。

もっとオリンピックメダリストに敬意を払うべきだ。

みっともないぞ、マスコミよ。


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