馳浩の古典こらむ

 
 せきをしてもひとり      
 

尾崎 放哉(ほうさい)
1885〜1926
 『大空』所収


 連日の長野オリンピックの報道を見るにつけ、スポーツ選手の超人的な活躍に驚かざるを得ない。4年に一度の平和の祭典に向けてどれだけの努力を積み重ねてきたのかを思うと、一ファンとして応援しているだけの自分自身がなさけなく思えてくる。

 例えば日本ジャンプ陣の金メダルの快挙。今シーズンの好調さや、ノーマルヒル、ラージヒルの結果をもってすれば金メダル確実と盛り上がってはいるものの、実際に飛ぶのは岡部、斎藤、原田、船木の4選手。4人で団体戦を闘うとは言うものの、要は1人ずつの成績を結集させるだけ。結局頼ることのできるのは今までにたくわえた自分の実力と、風向きのみという極限の状態。にわかファンやマスコミ陣が大騒ぎすればするほどその目に見えないプレッシャーが彼らを追いつめたことだろう。スポーツとは本来ゆとりある生活の中でのレジャーと、青少年の心身を健康的に成長させるための位置付け。ところがトップレベルの選手がオリンピックで闘うことは、人間の限界に挑むという側面も持ち合わせている。ということは極限の孤独の中でもがき苦しんでおり、だからこそ最高の結果=金メダルが出せたときに誰(だれ)も知ることのできない喜びが爆発するのであろう。この句は『せきをしても自分一人、しなくても一人きり』との意味。この無限の孤独感を内包しながらも大活躍をしてくれた選手団に、深く感謝したい。そしてその孤独に打ち克(か)つ強さを見習いたい。

                   


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