馳浩の古典こらむ

 雪山(せつざん)を        
 はひまはりゐる
 こだまかな

飯田 蛇笏
1885〜1962
霊芝所収


 心配していた雪も降りつもり、いよいよ長野オリンピックが開会された。日本におけるオリンピック大会は東京大会、札幌大会に次いで3回目である。開催地である長野県はもとより、日本国民挙げて待ち望んでいたスポーツの祭典。オリンピック憲章の第一章に記されているように、優劣を競い合う大会という意味ばかりではなく、国際平和に貢献する交流の場としてオリンピックの意義が求められているところであり、参加者間のふれあいの輪が世界に向けて広がることを期待してやまない。

 日本選手団の活躍に対する期待も注目の的である。私も過去にロサンゼルス五輪にレスリング選手として出場した経験がある。オリンピックの時ばかりではなく、日頃(ひごろ)の地味なトレーニングや小さな大会にも注目してほしいと思うのだが、観戦する側からすればレベルが高い中での競い合いの方が応援のしがいもあるということなのだろうか。いま一度国民のスポーツに対する意識を高める上でも、日本において開催される長野五輪を起爆剤としなければならない。

 この句は『雪をかぶった山々が輝き、そびえ立っている。折りしも一発の銃声がとどろきわたり、そのこだまが雪の山々をはいまわっている』という意味。

長野県は四方を山に囲まれている。今まさにオリンピックの競技開始の号砲が打ち鳴らされた。各国選手団が全力を尽くしてたたかい、その姿を応援する声が全世界にこだますることを願ってやまない。

                   


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