馳浩の古典こらむ

 いざさらば          
 雪見にころぶ
 所まで

松尾 芭蕉
1644〜1694
花摘所収


 映画監督である伊丹十三さんが亡くなった。マンション屋上からの飛び降り自殺。64歳。

 遺書が自室に残されていた。最愛の妻であり仕事上のパートナー、女優の宮本信子さんに対する感謝の気持ちと共に、自殺の動機も明記されていた。女性問題について写真週刊誌から取材を受けていて、その疑いを晴らすために『死をもってしか潔白を証明できない』とのことば。『なぜ、そんなことぐらいで自殺するのか・・・・』と、私は不思議に思った。

 疑いを晴らすのならば、記者会見でもして肉声で真実を証明すればそれで済むこと。ここで『死』を選んだことに、私は次のように推察してみた。何かナゾを感じるのだ。

 伊丹さんは自分の人生の幕引きを一つの作品として演出する機会をうかがっていたのではないか。社会風刺とユーモアと人間観察をテーマとした伊丹さんの作品の中で、今回の『憤死』(いきどおりを持っての抗議死)は、かっこうの題材だったのではないだろうか。 全然かっこよくないけど、深く考えさせられるテーマがこの自殺の意味として存在する。『援助交際』『老年の恋』『マスコミとスキャンダル』『有名人のプライバシー』『映画監督の死生観』『マスコミによる魔女狩り』など。これらのテーマを一つの作品として結実させたのだが、伊丹十三主演、企画、脚本、演出、監督による遺作『憤死』なのではないだろうか。

 そうとしか思えない突然の死。

 『いざさらば映画にころぶ所まで』 合掌。


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