馳浩の古典こらむ

 あら野行く               
 我が影もなき
 暑さ哉

川上不白
1792〜1807
不白翁句集


 秋も深まり行く今日この頃(ごろ)というのに、身も心も燃えるような熱さで怒りにうちふるえている人がいる。「前」総務庁長官、あの佐藤孝行氏である。まるで猿舞台の大根役者のごとく表舞台に立たされ、さんざんマスコミや世間のさらし者にされ、知らないうちにその舞台から引きずり降ろされてしまったのだから、心中おだやかでないのは想像に難くない。

 私は何も佐藤氏を弁護しようとは思っていない。法的に効力を失ってしまったとはいえ有罪が確定していたのは事実。ましてや公的職務にかかわる収賄容疑。いわゆる汚職である。いくら有権者の審判を受けて選挙に当選して代議士の立場にあるといえ、自(おの)ずとその言動や役職に自重が求められるのは当然。

 私が言いたいのは佐藤氏自身のことではなく、舞台廻(まわ)しをした人達の節度のこと。
 任命権者である橋本総理大臣。根回しをした自民党三役。強い情念で閣僚候補に押し込んだ中曽根大勲位。世論の様子をうかがってから態度を決めた社民党。結局誰(だれ)も自分の手を汚さずに「辞職願い」を佐藤氏に書かせてしまった。この舞台廻しのどこにも政治の道徳性はない。あまりにも非情ではないか。

 この句は「身を寄せる一木もない荒野を行く。頭上から炎日が照りつけて、自分の影もない。石も草木も灼(や)けるような暑さ、吹き出る汗で全身がぬれるようだ」という意味。
 佐藤氏に深く同情しつつ、政治倫理の確立は政治家の心の改革にしかないことを主張したい。


[戻る]