馳浩の古典こらむ

 ちぎりおきし               
 させもが露をいのちにて
 あはれ今年の 秋もいぬめり

 藤原 基俊
1060〜1142
千載和歌集


 国民は選挙があるたびごとに政治家や政党に希望を抱き、期待を寄せ、少しでも生活が向上することを願って投票権を行使する(はず)。政治家は公約という名のもとに政策を訴え、その実現に向けて活動し任期を全うする。
 議会活動は最終的には過半数の獲得にあるわけだから時には政治家個人の意見や政党の理念にそぐわないことがあったとしても大勢に従わざるを得ない事態になることもある。それをもってして「政治家は風見鶏(かざみどり)」「政党の変節」と非難して悦に入っているマスコミもあるが、おかど違いもはなはだしいだろう。何故(なぜ)なら過半数の賛成なければ予算も法案も制度も成立しないのだから。連立与党は国民による選挙によって産み出された結果なのである。
 ところが野党に目を転じてみると共産党以外は腰が定まっていないようである。「改革会議」結成に向けて細川、羽田の両元首相や鳩山由紀夫民主党代表、その他新進党や太陽党の有志が準備を進めている様子。

 今さら野党再結集だなんてつじつまが合わないのではないだろうか。前回の総選挙での国民の投票は何だったの?最初から新進党離党しなきゃよかったじゃないの?となってしまうからだ。

 この歌は「約束しておいてくださった、あの草に置く恵みの露のように、わたしたちに希望を持たせていただいたお言葉に、全面的に望みを託しておりましたのに、ああ、今年の秋もまたむなしく過ぎていくようです」という意味。国民の望みをむなしくさせないためにも、政治家や政党はスジを通すべきである。


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