馳浩の古典こらむ

 瀬をはやみ              
 岩にせかるる滝川の
 われても末に あはむとぞ思ふ

 崇徳院(すとくいん)
1119〜1164
 


 夫婦の仲はちょっとした誤解や言葉の応酬で、あっという間に切れ目が入ったりするものである。友人の心ない助言がきっかけになることもあるし、親がしゃしゃり出てきて、たいしたケンカでもないのに大げさな事件に仕立て上げてしまい、取り返しのつかないことになったりするものである。外野の声ってこういう時は無責任だよね。何だってヒトの不幸は蜜(みつ)の味って言うもの。

 さて、小柳ルミ子、大澄賢也夫妻の痴話ゲンカもワイドショーや女性誌がにぎやかしく取り上げ、両方の親が登場してきたりしてここんとこ世間の一大事となっている。「ケンヤ君が浮気をした」だの、「ルミ子の稼ぎがなければ二人はやっていけない」だの揚げ句の果てには親がインタビュー受けて「覆水盆に返らず」なんて勝手に発言しちゃう始末。そりゃね、テレビの前のおばさんたちは他人のドラマと思って好奇心いっぱいでワクワク井戸端会議のネタにしちゃうんだけど、夫婦のプライベートをバラされて天下のさらしものになっている当人は、やりきれないはずよ。好きで一緒になった二人のことじゃないの。ながーい目で見てあげなきゃ。

 この歌は「川瀬の流れが速いので岩にせき止められる急流が二つに分かれても、すぐにまた合流する。そのように私たち二人の仲は今でこそ思わぬ邪魔が入って引き裂かれているとしても、行く末には何としても添い遂げようと心に決めている」の意。ルミ子ちゃんとケンヤ君。周りに左右されず二人の濃ーい愛をこれからも確認しあってね。


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