馳浩の古典こらむ

 あひ見ての            
 のちの心にくらぶれば
 昔は物を 思はざりけり

 権中納言敦忠 あつただ
906〜943
拾遺和歌集


 恋しい恋しい人に、その想(おも)いのたけを打ち明け、それが相手に受け入れられた時のうれしさといったら、何にも勝るしあわせであろう。物想いの時期が長く、その間にいろいろいと障害があった場合はなおさらのこと。

 元千葉ロッテマリーンズの伊良部秀輝投手が、まさしく紆余(うよ)曲折の末に念願のニューヨークヤンキースに入団した。私は一連のイラブ事件から2つのことを学んだ。

 1つは、プロスポーツ選手の人権の重さ。
 日本国内、プロとアマ、日本とアメリカとこの3点についてはプロ野球選手の身分についてはルールがある。伊良部投手はいくつかのルールに疑念を訴え、一貫して「プロ野球選手の選択の自由」という個人としての人権を主張し続けた。閉鎖的な日本のスポーツ界に対する大いなるチャレンジであり、その壁にアリの一穴を開けた事件として特筆される。

 もう一つは、実力さえあれば何でも有りやな、と証明された点。ルール厳守がスポーツの大前提であるにもかかわらず、伊良部投手のゴリ押しが通ったのは、まれに見る才能が認められたから。この点、ヤンキースのスタインブレナーオーナーの伊良部投手に対する思い入れと実力を判断する目が恋愛感情に匹敵する激しさであったということだ。

 この歌は「あなたと両想いとなった今となっては、昔の片想いの心なんて物思いではないわ」という意味。伊良部投手のヤンキースに対する恋情が燃えあがり、良い成績をあげることを願う。


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