馳浩の古典こらむ

 我影に              
 追ひ付きかぬる
 こてふかな

立羽不角
1662〜1753
続の原


 北朝鮮を捨てたのか、主体思想を捨てたのか。朝鮮労働党書記として権力の中枢にいたファン・ジャンヨプ氏の亡命事件が二カ月ぶりに表面上は一件落着となった。亡命を申請した中国が北朝鮮とは友好関係にあったため、いったん第三国であるフィリピンに出国。そのフィリピンからようやく希望していた亡命先である韓国に入国することができたので、ひとまず彼の願望はかなえられたことになる。
 しかしだからといってこれで全(すべ)ての問題が解決したわけでなくむしろ新たな展開が注目される。韓国政府当局による事情聴取を通じて、北朝鮮の実状が明らかにされるからである。ファン・ジャンヨプ氏は北朝鮮を捨てたのではなく、今も国内に住む人民の行く末を案じて出国したと主張しているのだ。
 とりわけ食糧難にあえぎ、たくさんの飢えたこどもたちがいるのに、金正日書記は理想の社会を建設したと主張していることを批判している。北朝鮮国内の理想と現実のギャップの大きさが明白であるだけに、関与政策をとるアメリカを中心として、韓国、中国、日本のそれぞれの対応が注目されるわけだ。まさしく外交とは人間模様。

 この句は「蝶(ちょう)が自分自身の影に追いつきかねている」という意味。

 北朝鮮の精神的支柱は主体思想であった。その主体思想を体系だてたのが黄長氏。そのファン・ジャンヨプ氏が、これまで批判対象であった韓国へと亡命。
 今、韓国に住むファン・ジャンヨプ氏は、北朝鮮に残してきた自分自身の影との追っかけっこをしているのではなかろうか。


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