馳浩の古典こらむ

 なげけとて          
 月やは物を 思はする
 かこち顔なる わが涙かな

西行法師 さいぎょうほうし
1118〜1190
千載和歌集


♪月が出た出た月が出た ヨイヨイ
 三池炭鉱の上に出た
 あんまり煙突が高いので
 さぞやお月さん
 けぶたかろ サノヨイヨイ

 三月三十日、「炭坑節」に唄(うた)われた三井三池鉱が閉山した。明治六年の官営操業開始から百二十四年、三井に払い下げられてから百八年目。まさに世の流れ、国策の推移というけむりに巻かれて三井三池の月が沈んだのである。関係者の想(おも)いは深いに違いない。
 富国強兵のため、戦後の復興のためにと大きな役割りを果たした石炭。一時は黒いダイヤモンドともてはやされたりもした。しかし石油へのエネルギー政策の転換や、輸入炭の三倍もする値段のため、そして環境(大気)汚染の影響も大きく、需要は一気に落ち込んでしまった。最盛期は二万人がいた従業員も閉山時には二千人。彼らの再就職先問題は残されているものの、実に円満に閉山。「三池争議」の頃(ころ)を考えると、隔世の感である。

 この歌は、「私に嘆けと言って、月は物思いをさせるのだろうか。いや、そんなことのあるはずはないのに、まるで月のせいにしているかのように流れ落ちる私の涙であるよ。」という意味。

 誇り高き炭坑マンにとっては、何を恨んでよいかわからぬ閉山劇であったろう。古来、月を見て物思いの涙にふけるというのは恋の嘆きが中心だったようである。炭坑に恋した労働者の心を、けぶりのなくなった月に少しはなぐさめてもらいたいものである。


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