馳浩の古典こらむ

 銭臭き              
 人にあふ夜は
 おぼろなり

 夏目 成美 なつめ せいび
1749〜1816
成美家集


 
 春の夜を表現して、おぼろ月夜と言ったりする。はっきりしない空模様であったり、天候を指して言ったりするものであろう。桜の花の散るのを惜しむ心を表現しているとも言える。いずれにせよ、うつうつとした、悩まし気な、心重い気分を「おぼろ」と言う。

 この三月いっぱいで秋田県知事をやっと辞任した佐々木喜久治氏を見ている秋田県民の心は、おぼろ以外の何物でもないだろう。
 県の食糧費による職員同士の飲食などの不正支出が、94、95年の二年間だけで九億円以上にものぼることが市民全体の指摘によって明らかになった。知事自身も、公舎の池の鯉(こい)のエサ代や、正月のおせち料理代、はたまたヨーロッパ旅行や国内旅行に同行した夫人の旅費まで公費で支出していたのである。
 恥の上ぬりの極めつけは、退職金の計算。
 事実が明らかになって減給処分をしたはずなのに、減給前の給料額で計算させて二億三千万円余りの退職金をマル取りしたのである。
 一体この男に知事としてのモラルがあったのだろうかと疑わざるを得ない。権力者の公私混同、お金の不正ほどみっともないものはない。

 この句の意味は、「金銭欲にまみれた人に逢(あ)わなければならない夜は、心重く、うつうつとした気分になる。」

 この裸の王様のような前知事は、周囲の人がゆーうつな気分を心に秘めて接していたことに気付かなかったのだろうか。もしかして自分がやったことの反省を今でもしてなかったりして。その感覚こそが恐ろしい。やだねー。


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