馳浩の古典こらむ

 花時(とき)あり         
 牛のかよはぬ
 日はなけれども

三井秋風(しゅうふう)
1646〜1717
『打曇砥』所収


 人生には、不変的な価値があると同時にうつろいやすく、せつな的な側面もある。

 安定した職業、生活は大多数の人が望むものである。しかし、他人とは違う才能や運を持ち合わせている人は、突如として異才を世に放ちはじめる時がある。もちろんそれはいつも長つづきするものでもないが。

 元柔道世界チャンピオン、昨年の全日本チャンピオンの小川直也選手が、JRAを退職してプロ格闘家に転向した。4月12日に、東京ドームにおいて、プロレスのチャンピオン橋本真也選手に挑戦することが決定した。いきなりの大一番は、昔で言うならば、木村政彦と力道山の一戦に匹敵する世間の注目度。

 私は、柔道対プロレスという興味と同時にトップアスリート同士の激突として見ている。

 ましてや、アマチュアからプロヘの転向は、限られた才能ある選手にしか許されない特権であるだけに、小川選手の勇気と度量の大きさに、深く敬意を表すものである。

 この句は「牛が道を通らない日はないけれども、花(桜)には時期があって春の短いあいだしか咲かない」という意味。牛を不変の象徴とし、花をせつな的世界の象徴としている。小川選手のプロ転向は、まさしく彼の人生においては『花咲く』事件である。数多くのスポーツ選手は、人目にふれず静かに消えて行く中で、小川選手の生き方はあこがれと夢の対象となる。

ぜひ大さな花を格闘技界に咲かせてもらいたい。激闘を期待しよう。


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