馳浩の古典こらむ

 ひっぱれる            
 糸まっすぐや
 甲虫

高野素十(すじゅう)
〔1893〜1976〕
『初鴉(はつがらす)』所収


 トウ ショウヘイ。世界中がその安否を注目し続けて来た中国の偉大な指導者。92歳で生涯を終えた。中国の近代化を強力に推し進め、その象徴とも言える香港返還の記念すべき年に亡くなったのも、時代のいたずらと言えよう。

 天安門事件については、死後、という条件でこのようなコメントを残している。

 『私は完全な人間ではない。過ちも犯す。悲しい出来事だった。自分が死んだら遺憾の意を伝えてほしい。しかし、許しは求めない。』

 大国を率いるリーダーとして、後から考えればもっといい方法をとったと思う、と素直な心情を吐露してもいる。ただ、これを遺書として公開する政治センスは、やはり卓越した指導者と言わざるを得ない。

 子供好きで、12億人民を震え上がらせた男も孫には言いなりだったよう。『僅大なる凡人』とも称せられ、政治の場を離れるとふつうのおじいさんと区別がつかなかったらしい。

 社会主義市場経済の達成を目標に、21世紀の世界のリーダーを目指して中国の針路の方向転換を図った男。経済の改革開放路線を、彼の後継者が引き続き推進することを、日本としても協力すべきであろう。

 この句は『糸でつのをゆわかれた甲虫が、まっすぐに這(は)い続けて、その糸がピーンと張られている』の意。

 中国をリードした糸は、今急激な近代国家への道のりを歩いている。トウショウヘイ氏の姿形そっくりの甲虫のように、着実に、力強く歩み続けてもらいたい。合掌。


[戻る]