馳浩の古典こらむ

 濁る世を 澄めともよはず
 我がなりに すまして見する  
 谷川の水

 良寛
1758〜1831


 年頭にあたり、世の中全体を見わして考えてみたい。連日のニュースは、ペルーの人質人件、通産省の泉井疑惑、厚生省の岡光疑惑、政治家がらみのオレンジ疑惑と、とどまるところを知らない不正のオンパレード。

 国民の信頼を集めていた権威のうち、官僚や政治家が引き起こす事件の数々に心を痛め、そして嘆き悲しみ、呆(あき)れ返っている人が大半であろう。すべての世の中の出来事が報道されるわけではないから、まだまだ闇(やみ)に葬り去られている悪事のあるだろうことを想像すると、戦後この日本という国は何を求めて復興し、先人が汗水流して働いてきたかが空(むな)しく思われて仕方ない。

 経済の豊かさ、つまりカネとモノに重きを置きすぎて来たために、なりふりかまわぬ方法がまかり通ってしまったのであろう。私も政治家の一員。批判と分析だけで済ませてはいけない。国民生活のあらゆる分野において、次の時代に向けての価値観を作りあげて行く役割を果たさねばならない。

 この歌は「濁る世の中を澄めなどと言いはしない。自分なりに澄んでみせる。谷川の水の清らかさ。この渓流の清冽(せいれつ)さこそ人々にも学んでほしいものだ」という意味。

 私は、強制的な手法では本心からの変革を促すことはできないと思う。一人一人が自分の使命を理解し、谷川の水をモラルとして、まっすぐな道を志向すべきだと思う。『水清ければ魚すまず』はうそだ。不正のない世の中を一人一人の手で作りあげなければならない。


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