馳浩の古典こらむ

 とび下(お)りて          
 弾みやまずよ
 寒雀

 川端茅舎(ぼうしゃ)
1897〜1941
『華巌』所収


 新春を迎え、街の隅々までにぎやか。昨年一年間をふりかえり、反省すべきことも後悔することも多々あろう。しかし、そんなマイナス部分をさておいて、一年の計をこの元旦に立てた人も多いのではなかろうか。

 新春のよろこびは、何も身の回りの華やかさの中にばかりあるのではない。私はテレビを通して観戦する箱根駅伝の力走にこそ、感動の中に一年のスタートを実感する。

 全国の大学から選び抜かれた十五校の精鋭が一本のたすきに汗の重さと走る喜びとチームの心のきずなを託して競い合う。抜きつ抜かれつの大レースが展開される。私も母校の活躍ぶりに関心を持つ一人である。

 ただ単に一本のたすきをつないで走るだけなのに、どうして観(み)ている我々は熱くなってしまうのだろう。まぶしい若さへのあこがれか。一年間の努力に対する敬意か。選ばれし者たちへの畏敬の念か。一本のたすきにこめられた連帯感に、社会の縮図を認めてのことか。いずれにせよ、テレビの前で手に汗握って応援して燃えているのは私だけであるまい。この句は「寒中の雀(すずめ)がパッととび下りて来て、ちょんちょんと弾むようにはねまわっているよ」の意。弾みやまない雀のよろこばしげな様子と、スタートの号砲と共に走り出る駅伝の様子がオーバーラップして見える。

 一人一人の選手にはそれぞれのドラマがある。一人一人が勝者である。

限界に挑戦するスポーツマンは、まさしく新年の象徴。


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