馳浩の古典こらむ

 野ざらしを            
 心に風の
 しむ身かな

 松尾芭蕉(まつおばしょう)
1644〜1694


 みなさん、旅行と旅の違いを説明できますか。私が思うに、旅とは人生修養の場。旅行とは旅を疑似体験すること。新婚旅行、修学旅行、社員旅行というと楽しい、レジャー感覚の印象が強いけど、『芭蕉の旅』というと一転、生きる上での悟りを求めるかのような重昧があるでしょう。

 さて、最近テレビを観(み)ていて一番『旅』の重要性を実感させてくれたのは、お笑いコンビ『猿岩石』の二人。この二人、所持金わずか十万円で、香港を出発してロンドンまで、何と百九十日間をかけて『ユーラシア大陸横断』を成し逐げてしまったのだ。もちろん誰(だれ)も好きこのんでチャレンジしたのではなく、人気テレビ番組『電波少年』の一企画で行かされてしまったのであるが。ほとんどヒッチハイクで通した無銭旅行。私は画面をながめていて、彼らの素(す)のリアクションに時には大笑いしながらも、半面では考えさせられた。あまりにも便利になりすぎた日本。生きる哲学をどこに求めているのか迷っている若者たち。モノやお金を崇拝する拝金主義によるモラルの欠如。こういった現代社会がかかえている難問に対して、『猿岩石』の二人の非生産的な旅は、いくつもの答えを示してくれたように思う。

 彼らは、芭蕉の句のように「旅の途中で果て、野ざらし(どくろ)になるのを覚悟の上の出立」だったと思うが、みごと生きて日本に帰って来たその行程は、まさしく強い生きる意志があっての成果。

称賛したい。


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