馳浩の古典こらむ

 君待つと
 我が恋ひをれば 我がやどの
 簾
(すだれ)動かし 秋の風吹く

 額田王
生没年未詳
『万葉集』(巻4・488より)


 日本人は、昔から『風』に対して情報伝達の特殊能力を感じ取っていたようである。

 『風の知らせ』『風のうわさ』『風の便り』と古くから『風』に寄せる期待は少なからず持っているようである。

 さて、政局の風、というと、まさしく『解散風』。橋本総理や、社民党、新党さきがけの幹部は、この夏枯れ時期にできるだけ『解散−総選挙』の話題に触れたくない様子。そりゃそうだろう。権力者は一日でも長くその座について国の平安を築き続けたいと願うものであるし、選挙準備の整っていない政党からすれば、少しでも先延ばししてほしいもの。

 そんな時、新たなる政局の風に期待しているのが鳩山由紀夫さん。『政権を担うべく第三の政党』づくりを目指して、新党が巻きおこす風によって政局運営のキャスティングボードを握ろうとしている。その新しい風に乗ってやってくるのは、船田元さんや社民党、新党さきがけの志高い政治家の皆さんなのだろうか。それとも肌をなでるだけの、実体(政策)のないそよ風で終わるのだろうか。

 この歌は「あなたのおいでを待って恋しく思っていると、家の戸□の簾をさやと動かして一陣の秋風が吹いて行く」という意味。

 この秋風によって、恋しく想(おも)う人に逢(あ)うことができた、というのが額田王の歌の意味である。

 鳩山さんの、ステキな秋風によって新党のメンバーに首尾よくめぐり逢うことができるだろうか。それとも、中身のなさに、皆から『飽き(秋)風』を吹かされるだろうか。

お手並み拝見。


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