馳浩の古典こらむ

 明日知らぬ
 わが身と思へど 暮れぬ間の
 今日は人こそ かなしかりけれ

 紀貫之
872頃〜945
『古今和歌集』より


 『男はつらいよ』の48作のシリーズをのこして、俳優の渥美清さんが68歳で亡くなった。肺がんを患っての死である。

 日本人なら、渥美さんこと『寅さん』のことを知らない人はいない。

 フーテンのテキ屋で、おっちょこちょいでおせっかいで、涙もろい寅さんは、もしかして戦後の日本人が失いつつある日本人としての美徳を内包していた人物なのかもしれない。

 であるが故に、渥美さんは私生活を他人に知られることを極端に嫌い、『寅さん』らしい最期を迎えることを選んだのかもしれない。

 私たちファンは、寅さんの死に顔は見たくない。いつも元気で、ある日プイッといなくなって、どこか知らない土地で旅の中に生きている寅さんを、心の片すみで思い描いている。

 そして、ある日突然私たちの前にあの笑顔であらわれてくれるのを期待している。

 映画をこよなく愛し、寅さん一節に生きた渥美さんだからこそ、家族に看取(みと)られるだけの死を選んだのであろう。

 この歌は「こういう私でさえ、明日の運命がわからないことは承知している。こうして今、生きている間は死んだ彼のことを考えると悲しくて、他のことを考える余裕がない」という意味。

 「明日の運命なんてわからない」こそ、目の前にある人生に全(すべ)てのエネルギーを注がなければならないことを教えてくれた寅さん。

 渥美さんが亡くなっても、スクリーンの中の寅さんを支えに、私たちは日本人らしく生きていきたい。

 合掌。


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