馳浩の古典こらむ

 すべもなき
 片恋をすと このころに
 我
(あ)が死ぬべきは 夢(いめ)に見えきや

作者未詳・女性 
『万葉集・3111』

 (いめ)に見て
 衣
(ころも)を取り 着装(よそ)ふ間(ま)
 妹
(いも)が使ひそ 先立ちにける

作者未詳・男性
 『万葉集・3112』


 最近やたらに携帯電話がはやっている。電車の中や喫茶店や会議中、所かまわず受信音がピロピロ鳴らされてうるさいったら、ありゃしない。加えて人の迷惑もかえりみずに大声でしゃべりやがってバカ話を聞きたくもないのに聞かされる。さして急用とも思えない内容を

『エー、ウッソー』

『キャー、それってチョベリバ』などとまぁ、無神経にもほどがある。

 若い女の子が、携帯電話を軸にして友人関係や恋愛関係を進展させているのを見ていると、これで良いのだろうかと思ってしまう。もっと深い心のやり取りと時間的な余裕があってしかるべきではないだろうか。感覚的にしゃべって『好き』『嫌い』が判断されているような気がしてならない。

 この問答歌は『万葉集』の時代の社会的背景を基にしての男女のやり取り。

 (女)『やるせない片想いのために、このごろ私が死にそうになっている姿はあなたの夢に見えますか?』

(男)『あなたのことを夢に見たので衣を着て、そちらへ出掛ける準備をしているところにあなたからの使(つかい)の方が先にやって来たのですよ(今行こうと思っていたところなのに・・・・』

『夢』を心のよりどころとするしかない女心。その心を和歌に託して贈るしかないもどかしさ。その女心に対してなんとものんびりしている言い訳がましい男の返歌。

それぞれの行動に、細やかな感情が満ちあふれている。それに比べて、感情を瞬時のうちに電波で飛ばしてしまう『携帯電話の恋』は、私はきらいだ。

 
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