馳浩の古典こらむ

 うらやまし       
 思ひ切る時
 猫の恋

越智越人(えつじん)
1656〜?
『猿蓑』


 陽春の候ともなると、パートナーを求める猫ちゃんが、夜昼となくうるさく鳴きたてる。

 平常時の可愛(かわ)いい『ミャー』という鳴き声ではない。腹の底から、しぼり出すようなうなり声を耳にすると、百年の恋もさめてしまうような気がする。しかし、哀(かな)しいかなそれが性(さが)なのである。生きることの業の深さをその声に感じてしまうのは私だけであろうか。

 ところが、ある時が来るとぴたりと鳴きやめる。まるで何事もなかったかのように。

 それはもう、思い切りが良くさっぱりしている。うらやましい。人間はなかなかそうはいかないのに……。

 と思っていたら、一人いた。松田聖子さん。

 アラン君だのジェフ君だの、浮名を流した男性の数知れず。そりゃもう、すごいのだそうである。(女性週刊誌による。)もちろん私は実際に見たことはない。あくまで噂(うわさ)

 ところが、いったん別れたとなると、徹底して冷たい。割り切る。歯牙(しが)にもかけない。

 むしろ相手にされなくなった男性の方が未練がましい。おつきあいしていた時の写真を持ち出してきて週刊誌に売りつけたり。ジェフ君なんて『松田聖子の不倫相手』として日本の芸能界にデビューしたりして、みっともないったらありゃしない。暴露本まで出版するに至っては、おまえ男としてのプライドがないのか、と言いたいぐらい。

 最近ちまたの女性はこう言うらしい。

 うらやまし 男切る時 聖子の恋

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