馳浩の古典こらむ

 うき草や             
 今朝はあちらの
 岸に咲く

中川 乙由(おつゆう)
1675〜1739

「麦林(ばくりん)集」より


2002年に開かれるサッカーのワールドカップ。日本か韓国か、どちらが単独催権を勝ちとるかで大変な招致合戦が事前にくり広げられた。

 先に招致に名乗りをあげた日本がリードしていたかと思えば、韓国は

「何があっても日本にだけは負けるな」とばかり国民一丸となって劣勢挽回に動いた。

 競技場、交通、宿泊、報道運営など、受け入れ態勢は圧倒的に日本が充実しているとの空気が流れるや、今度は韓国は財界が資金を出しあって、FIFA理事国への投票切り崩し工作に乗り出したという。その金額たるや一説には二百億円とも言われ、とても日本側招致委員会が太刀打ちできる額ではなく、あくまでも『フェアプレーの精神』と『受け入れ準備の充実度』と『アベランジェ会長の支持』で対抗するしかなかった。これはもう、スポーツ戦争。結果、FIFAのルール変更が全会一致で認められて『日韓共催』に決着。

 この句は『昨日はこちらの岸辺で咲いていた浮草が今朝はあちらの岸で咲いている』という意味。人の心のたよりなさや、世の中の定めなさ、移ろいやすさを例えたものである。

 マスコミ報道、関係者の舞台裏のかけひきはまさしく『浮き草』のような日韓の招致合戦であった。共催に決定したことによって、両者の憎しみが深まることにならず良かったと思う。今後は、共催成功に向けてお互い謙譲の精神をもって話し合っていくべきであろう。スポーツはルールに則(のっと)って闘うものなのだから。


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