馳浩の古典こらむ

 問ふなかれ
 いまはみづから えもわかず
 ひとすぢにただ 山の恋しき

若山牧水
1885〜1928


 薫風さわやかな五月初旬。エベレスト登頂に成功した経験豊富な女性登山家、難波康子さん。その快挙に多くの国民が勇気付けられた。しかし、運命はあっという間に彼女を谷底に突き落とすことになった。
 下山途中。天候の急変により遭難し、行方不明に。翌日、彼女の遺体は確認され、帰らぬ人に。なぜ、彼女はエベレストに登ったのか。
 「そこに山があるからだ」の名言を残したのはイギリスの登山家、ジョージ・マロリー。
 その彼にしたところで1924年、頂上を極めようとしてかなわず、消息を絶った。
 なぜに人間は命を賭(と)してまで困難にチャレンジするのだろう? 高地登山には常に危険がともなうことは、登山家なら百も承知。
 極寒。酸素不足。暴風。天候の急変。乾燥した空気。それらの影響による体力と判断力の低下。
 すべての条件を考慮の上での登山であろうから、私たち外野席が口を挟む余地のないことではあるが。一体そこまでして何を得ようとしているのだろうか。

 この歌は、山峡深くに育った牧水ならではの、山に対する愛情を凝縮した歌。「問わないで下さい。今となっては自分でもわからないのです。ただ一筋に山が恋しいのです」

 登頂の喜びを胸にエベレストに散った難波康子さんが残したものは何だったのだろう。
 そこには「ロマン」という綺麗事(きれいごと)では済まされない、人生の苦悩が隠されていると思わざるを得ない。


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