馳浩の古典こらむ

 花を見る
 人の心は 八重桜
 一重さくらを たずねても見よ   

木喰上人 五行 もくじきしょうにん ごぎょう
1718〜1810


 東京にある参議院議員宿舎前の道路わきには、4月20日前後になると八重桜のこんもりとしたうす桃色の花が満開となる。ほんの一時の盛りを惜しむかのように、折からの春雨にも負けず、私たち見る者の心を華やかにさせてくれる。ところが、ものの一週間もすると、無惨にも花びらは風に舞って散り急ぎ、葉桜へと姿を変えてしまう。そうなるともう、興冷めもいいところで、歩道に散り敷かれた花びらを踏みつけながら人々は何事もなかったかのように日々を過ごすことになる。こうしたところに季節と人の心の移ろいやすさを認めてしまうのは、私だけであるまい。
 人間社会の華やかさの代名詞と言えば、芸能界。中でも、若手女性タレントを見るたびに、私はこの八重桜とイメージをだぶらせてしまう。神田うのちゃん。あなたもその一人。
 テレビのバラエティー番組やラジオ、イベント、雑誌のグラビアを飾っている彼女を目にするたびに、「おいおい、いつまでも若さと美貌(びぼう)と人気があると思うなよ。容色衰えて新鮮味がなくなれば、そのうち散ってしまうのだから。今のうちに万人から認められるだけの才能を蓄積しておきなさい。」と心の中で苦言を呈してしまう。つまり、この歌の作者、五行が言うように、素朴なもの、ささやかなものの代表である一重桜を求める心を持つことこそが、永遠に万人に愛される何かをつかむことになるのである。

 若さや勢いによる成功はあくまで一時的なもの、と自覚する必要があるだろう。


[戻る]