馳浩の古典こらむ

 うとうとと               
 旅のつかれや
 若葉かげ

井上 井月 せいげつ
1822〜1877


 一国の主たるもの、こうでなくてはいかんと思わせられたのが、クリントン大統領。
 何も、日米首脳会談の内容に言及しようというのではない。来日中の彼の精力的な行動に対して敬意を払い、見習うべきと教えられたのである。
 とりわけ、早朝六時からのジョキング。
 前日遅くまで交渉にあたられ、おつかれのはずなのに、神宮外苑のコースを5キロほど走られている姿をテレビで拝見した。
 アメリカー韓国−日本と、休む間も無い強行軍であるにもかかわらず、のジョキング。
 かたや橋本龍太郎首相は「春眠 暁(あかつき)を覚えず」で、激務に備えて床の中。
 私は、二人のこの違いに、日米両国の身体観についての文化の相違と共に、国民性の違いを明確に見て取ることができる。
 そして驚くことに、クリントン大統領は、滞在二日目の早朝、大雨の中にもかかわらず、またしてもおつきのSPを従えて走り込まれたことである。おそらく、心身ともに疲れのピークであったろうと思うが、あえて汗を流すことによって健康を維持しておられるのであろう。その若々しさと元気良さは、年齢からくるものではなく、哲学の差ではないのかな、と思い知らされた。大統領は休む間もなくロシアに向かわれたが、かの地においてもやはり黙々と走っておられることだろう。私をはじめ、日本の政治家のほとんどが「若葉のかげでうとうとしていることを反省したい。」

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