馳浩の古典こらむ

 (ごく)つぶし           
 桜の下に
 くらしけり

小林 一茶
1763〜1827


 私は小矢部市興法寺の農家の三男坊として生まれた。小さい頃(ころ)よくおばあちゃんが「このごくつぶし!」と私のことを怒っていた。きまってそう言われる時、私は家の中でゴロゴロと寝転がってテレビをながめたりしていた。「ごくつぶし」がどういう意味なのかわからなかったが、おそらく「なまけ者」のことだろうな、と思っていた。もちろん私は「うるせーなー」とおばあちゃんに憎まれ口を叩(たた)いていたものだ。
 学生時代、一茶の俳句を鑑賞していて、初めてその意味を知ることができた。田畑を耕すことなく、遊民として生き、生産の仕事に携わらない人のことを言うそうだ。

 人々が士農工商と区分されていた時代に、俳諧師として生きた一茶が、自らの生き様に対してうしろめたさを感じていたのだな、と思わせるのがこの句である。意味は「遊民穀つぶしとして、桜の木の下で花などを愛(め)で、句作をして楽しく暮らしている。(これでいいのだろうか・・・」という、まさしく生き方にコンプレックスを感じている心情を吐露した句。

 おそらく光と影が同居するように、桜の花の華やかさがそう思わせたのであろう。彼はコンプレックスをエネルギーとして俳諧の道に精進して後世に名を残したのだから、「穀つぶし」が悪いとは私は思っていない。
 幼い頃の「穀つぶし」は、長じてプロレスラーとなり、政治家となっている。はたして政治家は「穀つぶし」なのだろうか?花見酒でもたのしみながら考えてみたい・・・。


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