馳浩の古典こらむ

 山高み
 人もすさめぬ 桜花
 いたくなわびそ 我見はやさむ

読人しらず
古今和歌集 春歌上


 頂点にまで昇りつめてしまうと、なかなか周りの人は寄りついてくれないもの。気やすく声をかけてくれたり、腹を割って話し合えるということもない。さみしいものである。
 先日、橋本龍太郎総理大臣と参議院自民党一年生議員の「平七会」が、首相官邸で昼食会を行った。マスコミはシャットアウトし、カレーライスを食べながらの政局談議。同じ国会議員とは言え、頂点に立つ総理と私たちの間には目に見えないへだたりがある。その目に見えないへだたりを最も痛感しているのが総理のようである。問わず語りに、「官邸にいると、いつもSPや記者連中が張りついているから、カゴの鳥状態だよ。今日は我々仲間内の食事会だから、何でも語り合おうよ」とうれしそうに話しはじめた。印象に残った発言は、外交について、「あらゆる使える手段を並べ、できることとできないことのチェックをするのが事務方。決断するのが政治家」なるほど。至言。

 この歌の意味は、「あまり高い山の頂上に咲いたので、だれも寄りついてくれない桜の花よ。そんなにひどく悲観してくれるな。私がいくらでも引き立て役になってあげるから」

 桜の花はそれだけで輝きを放つ。しかし、引き立て役がいてこそ、その趣はいっそう深みを増す。総理が力強い決断力を持ち、発揮することが可能となるように「平七会」が引き立て役になることを誓い、官邸を辞した。
 何よりも、腹を割った顔の見えるつきあいが原点であることを実感した次第。


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