馳浩の古典こらむ

 思ひせく
 心のうちの 滝なれや
 落つとはきけど 音の聞えぬ

三条町
生没年未詳 紀名虎の娘 静子
古今和歌集 雑歌 下


 薬害エイズ訴訟で、やっと国と製薬会社が自らの責任を認め、謝罪した。訴えがはじまってから7年目になってようやくの謝罪。
 原告や、その家族、亡くなった被害者の遺族らのまっとうな訴えが結実したのである。
 非加熱製剤を投与されてエイズウイルスに感染した血友病患者は二千人を数える。うち四百人が既に死亡し、現在も五日に一人が亡くなっている。この薬害エイズ問題は、厚生省と製薬会社と学者(医者)の無責任な癒着がもたらした「人災」だったのである。
 ある製薬会社の社長や役員たちが、土下座をして自らの非をわびていた。「許して下さい」と言いながら。彼らに対して浴びせられる「人殺し!」の叫びと鳴咽(おえつ)。無理もない。いくら目の前で謝られたとて、薬害エイズで無念の死をとげていった今は亡き患者たちは、「死人に口なし」。怒鳴り声を張りあげたり、涙を流したり、抗議の行動を起こしたりしてくやしい胸中を吐き出すこともできないのだから。

 三条町の歌は、屏風(びょうぶ)の「滝」の絵を題材にした歌(屏風歌、題詠歌という)。
 「この絵は悲しい思いを外に表すことを止められている心の中の滝なのでしょうか。水が落ちているけれども音が聞こえません(涙が落ちているけれども泣き声が聞こえません)」

 殺された薬害エイズによる被害者たちの地の底からの泣き声に、最大限の反省に立って国や製薬会社は耳を傾け、対応せねばならない。二度と同じあやまちを犯さないために。


[戻る]