馳浩の古典こらむ

 あたふたに
 蝶
(ちょう)の出る日や
 金の番

小林 一茶 こばやし いっさ
1763〜1827
文化句帖


 今、日本で一番あたふたしているのは住専関係者であろう。バブルに踊った紳士たち。夢がはじけた後に持っていたものは不良債権の山。大蔵省の発表では38兆円ということだが、一説によると百兆円を超えるとも。
 ここまで野放図にしてきたツケは、国民がいつも知らない間に払わされている。
 国会での参考人招致。住専という甘い蜜に群がった人々の言い訳は、あらためて日本人の無責任体質を浮き彫りにした。
 「身を粉にして、働いて返します」と頭を下げる借り手もいれば、「今日の惨状をもたらしたのは、行政の未必の故意」と金を借りまくった自らの責任を棚上げして開き直る御仁も。大蔵省や農水省も、「その時々で出来る限りの判断をした」と言い張って、結果責任にはダンマリ。最大の貸し手、農協系統の経営責任者は、「我々はダマされた」と言わんばかり。見通しの甘さがここまで不良債権をふくらませたことに自主的に罪を認めてつぐなおうという責任論者はどこにもいない。

 この句は「春の陽気に湧(わ)き立って、あわてふためいて蝶が一時に出て来ている。しかしこんな日に、薄暗い帳場でそろばんをはじきながら金庫番をする野暮な男がいるよ」の意。

 あたふたと国会に出てきた外見ばかりの蝶とは、もちろん住専関係者。傲岸不遜(ごうがんふそん)。
 では、陰に隠れて大切な金庫を守っているのは・・・いつもツケを払わされている国民とは言えまいか。蝶の化けの皮をはがさねばならない時期なのに。


[戻る]