馳浩の古典こらむ

 天地(あめつち)
 神を
(こ)ひつつ我(あれ)待たむ
 はや来ませ君待たば苦しも

娘子 おとめ
生没年未詳
万葉集 巻十五


  「天地の神様に祈りながら私は待ちましょう。はやく帰って来て下さい、あなた。これ以上待っていたら苦しい」

 天災はいつどこで訪れてくるかわからない。
 北海道の豊浜トンネル崩落事故などはまさにこの天災である。だれに怒りをぶつければよいのか。
 トンネルを埋めた五万トンはあろうかと思われる岩石。これを取りのぞかないことには生き埋めになってしまった行方不明者の救出はままならなかった。
 一回、二回、三回とくり返される発破。なかなか効果のあがらない結果に、作業を吹雪の中で立ちすくんで見つめる行方不明者の家族から、イラ立ちとあきらめの声が・・・。
 ようやく四回めの発破で巨岩が取りのぞかれ、土砂の除去作業が行われたものの、遅々として進まぬ救出。自然の目に見えない大きな力がわれわれ人間を人質に取っているような状況。ましてや二次災害がいつまたおそってくるやらわからず、助ける側の人命も心配。
 万葉集のこの歌は、本来は単身赴任の夫が任期を終えて自身のもとに帰ってくるのを待ちわびている妻の歌。
 しかし、天災の前にただぼう然と立ちつくすしかない人間にとって、家族の救出を待つ心境は、この歌の通りであろう。
 「天地」の神様が引き起こしたとしか考えられない自然災害。ほんろうされる人間。ただ、神や仏にすがり、救出されるのを祈るしかないのである。二度とこのようなことの起きないように、これまた祈るばかりである。


[戻る]