馳浩の古典こらむ

 見れど飽かぬ
 吉野の川の 常滑の
 絶ゆることなく また還り見む

柿本朝臣人麻呂 かきのもとのあそんひとまろ
六四八〜
万葉集


 すばらしい景色というのは、くり返し何度見ても飽きることがない。この歌に詠まれている吉野川の絶景は、私も学生時代から数え切れぬほど訪れているが、その奇岩、怪石、やわらかな水質はまさに時を超越した美しさ。
 自然美は、時の天皇の心をもとらえたようで、持統天皇は「日本書記」に記されただけでも31回もの吉野行幸をはたしている。
 作者の人麻呂は、持統天皇に付きしたがって当地を訪れ、吉野川の絶景とともに天皇賛歌としてこの歌を詠んだのである。
 美しい景色を何度もふり返ってながめる喜びと、天皇の権力をたたえる喜びの歌−。
 しかし「吉野川の常滑」を「総理のイスと権力」と入れかえてみると、どうだろう。
 村山富市さんの心情を言い表しているとは言えまいか。(急に俗っぽくなってしまうけど)「総理のイス」は、何度見てもホレボレするほどの輝きを放っていて、飽きることがない。ましてや総理大臣に与えられる絶大な権力は、離れようとすればするほど、振り返って見ていたくなる、とでも言えようか。
 村山さんは種々の事情から首相の座を降りたが、権力の座までは捨てがたいらしく、いまだ社会党内や、連立政権内で一家言持ち続けようとしている。ヤレヤレ、である。
 そんなに未練をお持ちであるならば、せめて平成8年度予算案を成立させるまでがんばれば良かったのに。
 吉野川の流れのように、静かな去り際の美しさを見せてもらいたいものだ。

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