馳浩の古典こらむ

 たれもみな
 花の都に 散りはてて
 ひとりしぐるる 秋の山里

左京大夫顕輔 さきょうのだいぶあきすけ
1089〜1155
新古今和歌集 哀傷歌


 川谷拓三さんが肺がんで亡くなった。54歳の若さだという。あまりにも突然のことであり、また静かな散り際であった。年の瀬も押し迫ったころのニュースであり、人々は自分の忙しさにかまけて、大切な人を失ってしまったことの事の重大さに気がついていないようでもあった。
 私たちは、人生の目標に「花」を求めがちである。
 下積みの生活に甘んじ、縁の下の力持ちや、日陰者になろうとは誰(だれ)も思わない。いつの日か「花」が咲き誇ることを夢見て努力を重ねる。
 しかし、誰もが「花」になれるほど世の中は甘くない。たった一握りの「花」のためにどれほど多くの人が肥料となり土となり水となっていることか。
 「花」になることを求めず、みずから肥料や土となり、ワキ役として「花」の輝きを一層際立たせようとした俳優が川谷さんだった。
 その献身的な演技は、誰しもが抱えている人間性の「負」の部分にスポットライトをあててくれた。それが美徳でもあった。

 この歌は、上の句でにぎやかな花の都を取りあげ、一転して下の句で晩秋の悲愁を生かしている。また、「たれもみな」と「ひとり」の対句もその対比の妙をみせている。

 川谷さんの死に様は、まさしくワキ役人生そのものを感じさせるような晩秋の静かさであった。
 しかし、私たちの心に残した印象の深さは、決して主演俳優に勝るとも劣らない輝き。川谷さんは「花」をもしのぐ「しぐるる秋の山里」であった。合掌。


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