馳浩の古典こらむ

 かきくらす
 心の闇に まどひにき
 夢うつつとは 世人
(よひと)さだめよ

在原業平 ありわらのなりひら
825|880
古今和歌集


 「すべての理性を失った私の心は、闇(やみ)に迷ってあのような行為をしたのです。あれが夢だったのか現実だったのかは、世間の人が決めて下さい。私には分かりません」

 実はこの歌は、業平が道ならぬ恋を経験した時に詠んだ歌。神に仕える女性(斎宮(さいぐう))との一夜の出来事を、分別のなかったことと恥じ入り、冷静になった時に心情を吐露したものである。
 道ならぬ恋に燃えあがって分別をなくすのならまだ可愛げもあろう。善悪の判断を世間の人にあずけていることからも、おそらく誰(だれ)もがいつの日か通る道であることを訴えているようなもの。
 ところが、これが恋ならぬ「献金」となると、事はおだやかでない。
 韓国の盧泰愚前大統領が、多額のわいろを受け取った罪で逮捕された。拘置所に身柄を移される時、マスコミの前で「どんな処罰でも、私ひとりが甘んじて受けます」と殊勝にコメントしていたが、事は彼一人が罪をかぶることで済む問題ではない。
 「お金」がからめば「ギブ・アンド・テイク」が生じる。「見返り」を期待する政治活動がいかに人の道をはずれているか。異論をはさむ余地はない。政治家も財界も国民も、みなで襟を正さねばならない。
 前大統領は、たった一坪の拘置所の独房で冬を迎えることになった。彼の「心の闇」に、北風が冷たく吹きこんでいるのだろうか。


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