馳浩の古典こらむ

 水の泡の
 消えでうき身と 言ひながら
 ながれてなほも 頼まるるかな

紀友則 きのとものり
生没年不詳
古今和歌集


 大和銀行がアメリカで引き起こした不祥事により、日本の金融モラルが世界的に非難を浴びている。
 大蔵省の監督責任が、もっと厳しく追及されてしかるべき。しかし、大和銀行に対するアメリカ金融当局の処分の重さや、大蔵省の責任論が、日本の世論にあまり浮かんでこない。
 それは、不祥事であるはずの事件が、大和銀行と住友銀行の合併の話によっていい出来事にスリ替えられたから。終わり良ければすべて良し、のムード。拍子抜けの感無きにしもあらず、大蔵省にしてみれば「助かった」合併話であろう。あれだけの損失を出しておきながら、傷口をなめ合うような結末にしてしまうとは、日本人の不見識を問われても仕方のないところ。まったくこの国って・・・

 この歌の意味は「水の泡が消えずに浮いているような、憂き身であっても、水の流れるように生き永らえつつ、やはり何かを頼りにしたくなるものだ」という未練がましい失恋歌。

 どうだろう。日本人の優柔不断ぶりをみごとにとらえた歌である。
 バブルはとうにはじけてしまっているにもかかわらず、時の流れに乗っかりながら、何かを頼りに永らえたいと願っている大蔵当局や大和銀行幹部の心中が推察される。
 不正は不正。いさぎよく罪を受けることこそサムライの散り際ではなかったか。
 いまだバブルの幻からぬけ出せないでいる金融当局に、そのうち大きなバチがあたるであろう。


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