馳浩の古典こらむ

 歌書よりも          
 軍書にかなし
 芳野山


各務支考 かがみしこう665〜731
俳諧古今抄


 桜の季節になると、日本全国が華やいだ気分に浸る。新社会人や進入学生が街にあふれるころであり、人生の春まっさかり、といった初々しさをも感じる。
 ところが、今年はのんびりと花見酒にうつつを抜かしている場合ではない。
 東京の地下鉄で、猛毒ガスのサリンによる無差別殺人事件や異臭事件が発生したり、警察庁長官が狙撃されて重傷を負ったり。いずれも、だれが、何のためにこんなことをしでかしたのか解明がなされおらず、国民は見えない敵に対して怒りと恐怖心の両方を抱いている。
 事実は小説よりも奇なり、ということばがまさに当てはまるような、ミステリアスで不愉快極まりない事件である。

 この俳句は、各務支考の代表作と言われる。「吉野山は桜の名所として、古歌にも詠みつがれてきた歌枕である。しかし、『太平記』などの軍書に語り伝えられる南朝の悲話のほうが、はるかに感動を誘うものがある」との句意。吉野山の桜をほめたたえた歌よりも、歴史上の悲しい実話のほうが心を打つというのである。

 我々は自然の美しさに心を動かされることが多いが、それも現実の前ではむなしいということか。
 私は、こんな句を思いついた。

−桜よりサリンに悲し大都会−

 わけもわからず被害にあった犠牲者のことを思う時、私は犯人に対して言いようのない怒りでいっぱいである。
 この美しい国日本をサリンで散らしてはならない。


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