馳浩の古典こらむ

 散ればこそ
 いとど桜はめでたけれ
 うき世になにか
 久しかるべき

伊勢物語
 第82段


 住年の名ボクサーだとばかり思っていたジョージ・フォアマンが、見事に復活してみせた。中高年のおじさんに夢を与える快挙だ。
 スポーツ選手は、その引き際が美しくなければいけないとよく言われる。
 その意見に従うとすると、四十歳を超えてまで現役にこだわるフォアマンの姿は、「老残をさらす未練がましい男」と言われても仕方のないところだ。
 しかし、彼はヘビー級タイトルマッチを鮮やかな逆転KO劇で勝利し、カムバックしてみせた。

 キリスト教の伝道師というもうひとつの顔を持つ彼は、自らが闘うことによって迷える青少年たちに「信仰」の大切さを訴えたかったのかもしれない。
 自らの肉体を傷つけるばかりで、どう見ても楽しそうには見えない過酷なスポーツ、ボクシング。

 フォアマンは、そんな世界に身を置きながらも「挑戦し続けることの価値」を見つけだしたかったのではないだろうか。

 惜しまれつつ花が散るからこそ、ますます桜はすばらしい。この世に永 遠のものは存在しないのだから、とこの歌は詠んでいる。

 ならば、チャンピオンという最高の花を咲かせたフォアマンの、最後の散り様を見せてもらいたいもの。
 そして「もうちょっと見ていたい」と願いはじめた世のおじさんたちに、惜しまれながらも去ることのいさぎ良さを教えてほしい。

 


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