馳浩の古典こらむ

 寒き夜(よ)や          
 我身
(わがみ)をわれが
 不寝番
(ねずのばん)

小林一茶 こばやしいっさ
1763〜1827
寛政句帖


 阪神大震災から立ち直ろうと、復興に向けて急ピッチで作業の進む神戸の街。
 何とかして少しでもその役に立ちたいと、神戸にはたくさんのボランティアが集結した。
 実際に現地入りしたボランティアの学生さんが、一時東京に帰って来たときに話を聞いた。
 地震発生から十日後、自発的にボランティア活動に参加した彼らは”本当の寒さ”を経験したそうである。
 「地球の温暖化」と言われて久しいが、それは都市文明が発達したゆえの落とし物と実感した、と彼らは言い放った。

 「都会のライフラインが寸断されるとこんなに冷えこんでしまうのかと思いました」

 つまり、ガス、電気、水道、交通路が二十四時間体制で動いているからこそ街全体が暖かかったのだ、ということを知ったそうである。
 彼らが世話をしたというある老女は「私の日ごろの行いが悪いから、夫も亡くし一人ぼっちになり、こんな寒い思いをするんや」とひとりごちたという。

 あまりの寒さになかなか寝つけない。覚めた意識が、疲れきったからだを一晩中寝ないで番をしていたかのようだ−。

 これは三十歳のときに西国行脚に出た一茶の、旅の途中の作。
 いま、神戸の街は文明のありがたみと紙一重の、自然からのしっぺ返しを受けている。
 自分を責めることでしか現状を納得できないでいる老女に、少しずつ春の暖かさが訪れることを願ってやまない。

 


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