馳浩の古典こらむ

 (あま)ざかる
 鄙
(ひな)に五年(いつとせ)住まひつつ
 都の風俗
(てぶり)忘らえにけり

山上億良 やまのうえのおくら
659〜733


 岩國哲人氏が動く。
 島根県出雲市長の岩國氏が、任期切れを待たずに辞意を表明した。
 これはなぜ、との疑問が湧(わ)いた。
 89年に市長職に就いてからの氏は、ことあるごとに地方の時代を声高に叫んできた。
 熊本県知事時代の細川護熙氏との共著『鄙の論理』では「中央集権から地方分権の政治へ」行政改革は地方から」と主張し、みずからがその主張通りの改革をしてみせた。市民一人ひとりの健康を管理するICカードを導入したり、役所の手続きの印鑑をサインに代えたことなど、身近なことから取り組んだ。そんな氏がなぜこの時期に辞めるのか? こたえた氏の口から出た。
 「中央が動かないことには地方も動けない」
 ということである。つまり、かねてから噂(うわさ)の都知事選出馬へ向けての行動開始、というわけである。
 日本の中心、東京都から変わらなければ、地方はその後を追えないとする氏の意見には、なるほどとうなずかざるを得ない。
 「地方に5年も住んでいると、都(みやこ)のセンス流行、エスプリな ど忘れてしまった」と悲嘆した億良。
 年老いて筑前守を拝命した億良は、やはり都会にかえることを望んでいたわけである。
 岩國氏も、出雲住まいに限界を感じたということであろうか。ならば、氏のこれからの行動こそが「都の風俗」となってもらいたいものだ。

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