馳浩の古典こらむ

 離別(さら)れたる
 身を踏込(ふんご)んで     
 田植哉(たうえかな)

与謝 蕪村 よさぶそん
1716|1783
蕪村句集


 離別は結婚の3倍のエネルギーをつかう。
 これはバツイチ経験者(私も含む)の声。
 明石家さんまさんと大竹しのぶさんは、両名とも同じ芸能界に生きる夫婦だっただけに、離婚の時はワイドショーに追っかけられてたいへんだった。それをテレビでながめていた主婦の皆さんは興味津々だったようだが。
 別れた後も衆人監視の中にあった二人は、さぞや恥ずかしくもありつらくもあり複雑な心境だっただろう。さんまさんはお笑い芸人。自身の私生活もギャグに仕立ててお茶の間の笑いをとろうとする。しかし、
 「家が売れんで困ったワ」
 「もう結婚はこりごり」
 「それでもこどもに逢(あ)いたいなァ」
 というコメントを聞くと、笑いの陰に隠れた彼の悲し気な心中が察せられる。

 蕪村の句は小説的な構想となっている。
 村の共同作業である「田植」を舞台として、離別された女性の屈折した心理に焦点を当てている。
 女が、先夫の家の田植えにかり出されてどんな思いで泥田に足を入れたか。
 村人の視線を気にしながら、恥ずかしさや屈辱や憎さを胸にしまって田に「身を踏込んで」行ったのだろう。
 相手を憎く思えば思うほど、自己嫌悪に陥ってしまうのが離婚後のつらさ。別れた責任は他でもない、当事者同士にあるとわかっているからこそ、つらいのである。(と経験者は語るので・・・)。


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