馳浩の古典こらむ

 招かねど
 あまたの人の 集くかな
 富といふものぞ楽しかりける

平 兼盛 たいらの かねもり
? 〜九九〇


 1995年は選挙イヤーとなりそうである。
 春先に都知事選、大阪府知事選があり、7月には参議院選挙。小選挙区制が導入されたことにより、「国民の信を問う」という大義名分のもとに衆議院の選挙があるかもしれぬ。
 そこで、小沢一郎さんの登場であろう。
 自民党を離党して新生党を作り、あっという間に細川連立政権を作り上げたと思ったら、あっという間に自社さきがけ連立政権に座を奪われてしまった。なんという目まぐるしさ。そして94年末には連立野党の一大組織、新進党の幹事長に収まっている。
 小沢さんのこの一連の動きぶり。私は平兼盛の歌を引き合いに出してこそ彼の政治家としての深層心理に迫れるような気がする。
 下の句の「富」という一語を、「金」「票」「大臣ポスト」ということばに置き換えてみればそれはわかりやすいのではなかろうか。
 中流貴族の兼盛はストレートに「富」の威力を礼讃している。それはそれでいい。対して権力の中枢に居座り続けようと狙っている小沢さんは、あめ玉のように「富」をちらつかせて政治(国)を操ろうとしている。政策論争も見えてこない権力ゲームに、我々国民はうすら寒い気持ちになってしまう。
 「富」をちらつかせて子分を増やし、票を集め、国を治めようとの目論見(もくろみ)がミエミエなのだ。
 一体いつになったら、どうやったらこういうゴーマン政治家とこの国は縁を切れるのだろう。我々一市民も「招かれざる客」として、「富」に対して意見を発し続けねばならない時期だろう。

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